yoga school kailas

「解説『ただ今日なすべきことを』」第一回(6)

(T)先生、瞬間瞬間の新鮮さとか、その素晴らしさっていうのは、僕はまだちょっとはっきり分かんないんですけど、昔よく読んだ本で、白血病になったり、乳癌で死にそうになったりした人が本書いたりして、そういう中に、全くこれと同じ表現のものがよく出てるんですよ。いろんな本で結構その、瞬間の新鮮さとかよく書いてあったりして、なんでこういう人達はそんな修行とかやってないのに……

 いや、多分それはさ、もともとそういう人っていうのはおそらくそういう素養、素質っていうかね、つまりもともと修行者としての素質があって、で、条件がある。条件っていうのはその人も、そういう病気になってなかったら、そういうふうに思わなかったかもしれない。つまり、まあ現代の日本っていうのは、とてものんべんだらりとした世界だから――あの、昔のインドとかはさ、本当にもう貧しい人も多いし、明日生きていけるかどうか分かんないって人が多かったわけだけど、今の日本っていうのはそんな状況にはまずない。昔はもちろん病気も多かったしね。だから素質がある人であっても、こういう生ぬるい世界で生きてたら、あまりそういうのに気付けない。でも素質がある人がそういうような、いつ死ぬか分からないとか、あと日々苦痛が襲うような状況に陥ったときに、そういう目が目覚めてくるわけだね。だからそれは、そういうことだと思うよ。もともと素質があって、しかも追い込まれることによって、そういうのが目覚めてくると。だって重病になっても愚痴ばっかり言ってる人もいるわけじゃないですか。だから白血病になればみんな目覚めるわけではない。
 だからどれだけその、なんていうかな、どんな状況でも――まあ、お釈迦様の例えではこういうふうに言ってるよね。人間が真理に気付くかどうかの話として、馬の例えで言ってるよね。ここに馬がいて、最も優秀な馬は、その飼い主がこう、茨ね、茨でできた輪っかを持ってくるんだけど、それを見た瞬間に恐怖する。で、次に優秀な馬は、それが首にかけられたときに恐怖する。「えっ!? なんかかけられちゃった」と。「刺さるんじゃないか」と。で、次に優秀な馬は、そこでもぼーっとしてて、それがちょっと肉に刺さってきたときに恐怖する。「なんか刺さってきたぞ」と。「ああ、なんか血が流れてきた。どうしよう」と。で、次に、そこでも気付かない馬は、それがもう骨の髄まで達してやっと気付く。「やべえ、なんだこれ」――それ、さっきも刺さってたんだけど、それが骨まで達してやっと、「やべえ、なんだこりゃあ」と。で、最も駄目な馬は、死ぬまで気付かない。それで死んじゃうと。
 つまりこれと同じで、この世の苦しみとか、あるいはなんかしなきゃいけない、修行しなきゃいけないんだとか、そういうことを、自分も苦しむことなく、特に周りに何も見ることなく気付ける人っていうのは、最高なんです。で、次が、自分はそうじゃないんだけど家族とか親類とかが苦しい目にあって、それを見て、「あれ? おれはこのままじゃいけないんじゃないだろうか?」と気付くのが次に素晴らしいと。その次に、自分がそういう目にあって気付けるのが次に素晴らしい。で、最も駄目なのが、自分がそういう苦悩に陥っても、人のことを恨んだりばっかしてて、全く気付けないで死んでいくと。これはだからさっきの、刺さってもなんの恐怖も感じずに死んでいく馬と同じだね。
 だからもともと素養がある人っていうのは、何もなくても気付けるんです。でも素養あるけどちょっと心がなまってる人は、そういう状況に追い込まれることによって、ちょっと目覚めてきて、そういう気持ちになれてくるんだね。だからそういうのはあると思うね。
 だからみんなも、まあこうして、なんていうかな、ヨーガとかと巡り合うカルマがあるっていうことは、もともと素晴らしいカルマを持ってるわけだから、この状態で気付けたら超かっこいい(笑)。つまり別におれは苦痛に苛まれてるわけでもない。しかしこの状態に一切とらわれず瞬間瞬間正しく見れたら、すごいかっこいいです(笑)。かっこいいっていうか、偉大だね。うん。

(T)すごく疲れません? 

 ん? 

(T)瞬間瞬間クリアし続けたら。

 慣れないと疲れるね。でも慣れてくるとそれが当たり前になる。あの、すべては慣れなんです。うん。なんでもそうでしょ。煩悩を捨てろとか言われて、「えっ!? 煩悩捨てる? それできません。」――なんでできないんだっていうと、慣れちゃってるから(笑)。ただそれだけなんだね。
 でもこの考えって大事なんですよ。すべては慣れだと。ただ慣れてるだけだと。これは希望が出ます。修行だってそうなんだね。「ええ!? そんな、一日何時間も修行できませんよ」と。慣れればできます。絶対に。わたし、若いころ、そうですね、半年間ぐらい、まあ二十四時間っていうか、食事は食べたけども、食事以外ずーっと修行してたことがある。でもこれを最初トライしたときは、非常に苦しかった。できなかったんだけど、慣れてくるとねえ、できるんです、結構(笑)。なんかねえ、そのサイクルにはまっちゃうと、なんかね、全然、日々「くっそー」ってやりながらやってるんじゃなくて、楽々やってるんだよ。楽々一日中ずーっと修行してるんだよ。だから慣れなんだね。
 だから皆さんの今の悪い傾向もすべて慣れ。慣れによってできたものだし、いい傾向も慣れによってできます。まあ習性っていうかな。だからそういう、なんていうか、柔軟な発想を持ってると、結構修行は進む。われわれの中にはこう自分でブロックしてる場合が多いんだね。「えっ!? こんな状態、わたしは無理」と。「無理なんです」っていうそのレッテルを貼ることによって、本当に無理になってしまう。だから、できるんだっていう肯定的な気持ちはすごく大事だね。あるいは自分にすごい悪い部分があったとしても、いや、これは将来的にはもう捨てられるんだと。いやもちろん、今すぐ捨てられれば素晴らしいけど、今すぐ捨てられなくても絶対捨てられると。こういうその軽い気持ちっていうか、肯定的な気持ちを持ってると、どんどん進んでいくと思うね。

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