yoga school kailas

「聖者の生涯 ナーロー」⑧(2)

◎螺旋階段

 はい、じゃあ今日の話に入りますが、またね、新しい人もいるので簡単にだけ言うけども、ナーローっていうのは、密教の中で――インド密教の人ですけども――インド密教の中でもずば抜けた大聖者の一人ですね。例えばパドマサンバヴァとか、ああいう方と匹敵するような大聖者の一人。で、この方はインド密教の聖者なんだけど、この方の流れで系統を受け継いでるのがチベットのカギュー派といわれる派ですね。ナーロー自身はチベットに行ったことはないんだけど、ナーローの弟子の系統がカギュー派に繋がってるんだね。
 で、このナーローの物語っていうのは、これはいつも言うけども、かなり高度な話です。で、高度な話なんですけども、もうちょっとそれをレべルを落とした段階において、われわれの修行のために、われわれがそれを受け入れることはできます。模範にすることができます。なぜそれができるのかっていうと、結局修行ってものは、だいたい螺旋階段のようなもので、同じようなものがレべルを変えて繰り返されるんだね。
 例えばどういうことかっていうと、例えば「胸のチャクラの浄化が始まりました」っていった場合ね――例えばAという人が胸のチャクラの浄化が始まってると。Bという人も今胸のチャクラ浄化してると。Cという人も胸のチャクラの浄化してると。ね。じゃあみんな同じなのかっていうと、そうじゃなくて、Aという人は一番最初の段階の胸の浄化かもしれない。Bという人はかなり修行が進んだある中間状態の胸の浄化かもしれない。Cという人はもう解脱直前の胸の浄化かもしれない。まあもう一人Dという人がいて、このDという人は救済者として自分の幅をもっと広げていくための胸の浄化かもしれない(笑)。だから同じ胸の浄化っていうのをいったとしても、レべルが違う場合があるんだね。
 だから同じ現象、同じようなプロセスが起きたとしても、それがどういうレべルかっていうのは全然違ってくる。だからそういう意味で逆の意味においてね、ナーローが経験したいろいろなことっていうのは、全然われわれにはもう手の届かない本当に遥かなる高みの話なんですけども、それをもうちょっとミニマムな感じっていうか、レべルを落とした段階でわれわれが自分たちのね、修行のためにそれを学ぶことができるということですね。
 で、そのナーローの生涯の物語っていうのは、だいたい二つの山場があって、その一つはもう勉強会で終わってますけども、師匠であるグルであるティローに出会うまでの話ですね。つまりティローを探して、その間にティローがいろんな幻影としてあらわれ、その度にナーローは失敗をし、絶望し、打ちのめされ、で、また旅を続けると。で、こうしてナーローが実際に師匠に会う前に、自分のけがれを落としていくプロセスですね。これがあって、で、やっとその師匠ティローに出会いましたと。で、ここから今度は本格的に弟子として受け入れられて、で、それから真の悟り・解脱に向かうためのさまざまな試練を、このティローから与えられていくプロセスですね。で、その試練っていうものがね、あまりにも高度な話なので、わけが分からないんだね。でもさっきも言ったように、わけが分からないなりに、その中からエッセンスでね、われわれにも適用できる部分をね、学んでいきたいと思います。

share

  • Twitterにシェアする
  • Facebookにシェアする
  • Lineにシェアする