yoga school kailas

勉強会講話より「聖者の生涯 ナーロー」⑧(3)

◎王女を引きずり回す

【本文】
 ティローはまた一年間、黙って瞑想し続けました。ナーローはティローの周りを敬意を持って回り、教えを懇願しました。
 ティローは、「教えがほしいなら、ついて来い」と言って、歩き出しました。すると、王女と従者を連れた大王の一行と遭遇しました。ティローは、「私に弟子というものがいたら、あの王女を引きずり回しただろう」と言いました。ナーローがそのとおりにすると、王と従者達によって、ナーローは半殺しの目に合いました。
 ティローはまた神秘的な力で傷を癒すと、ナーローに、転移のヨーガの教えを伝授しました。

 まあこういう感じで全くわけが分からないわけだけど(笑)、ただまあこのパターンでね、延々と試練が続くわけですが。わけが分からないともいえるし、まあ実際に多くの示唆を含んでるともいえる。このナーローがティローに出会うまでの話と、それから出会ってからの試練の話っていうのは、だいたいがナーローのそれぞれの段階における、希望とその希望を打ちのめされるプロセスといってもいい。
 例えばこの今のエピソードをいうとね、まず最初の段階で、ナーローはティローに対して教えを懇願すると。これはだいたい一年間なんだけど、一年間全く師匠は何の反応もしないわけですね。これが一つのナーローの希望と挫折のプロセスなわけだけども。せっかく受け入れてもらった師匠が、一年間全く自分をかまってくれないと。で、一年経ってやっと振り向いてくれた。で、自分に指示を出してくれるわけですね。その指示っていうのが、まあ滅茶苦茶な指示なわけだけど、ここでは王女と従者を連れた大王の一行がいたと。で、「その王女を引きずり回しただろうなあ」っていう感じで言うわけだね。これを指示と考えて、王女様を引きずり回しにいくわけだね。
 当然ナーローは別に喧嘩とか強くないから、相手はその王とその軍隊ですから、もう滅茶苦茶に半殺しにされるわけですね。これは一つの絶望です。つまり、まるで夢物語のように、師の言うことを聞けばパーッと悟りがあらわれるとか、何か奇跡が起きて、っていうんじゃないんだね。普通に行って、普通に半殺しにされてる(笑)。ね。このようなプロセスが何度も何度も繰り返されるんだね。
 これはちょっと皆さんに伝わるかどうか分からないけども、修行というよりも――まあ修行ももちろんそうなんですけども――もちろん修行という一つの崇高な道も含んだ、精神世界とか宗教とか信仰の世界における一つのプロセスなんだね。

◎エゴの足場

 このプロセスっていうのは、われわれがまだエゴに満ちた心によって、真実を追求しようと思うと。でもここには多くの問題が含まれているんです。何が問題かっていうと、まず九十九パーセントエゴなんです。九十九パーセントエゴなんだけど、でも前生からの縁、または心の中に眠っている善きカルマによって、ピカーッと、純粋にね、「わたしは真理を知りたいな」っていう気持ちが出てくる。これによって真理に向かうわけだけど、九十九パーセントエゴだから、だんだんそのエゴに、その純粋な気持ちが浸食されていくんですね。で、スタートは良かったかもしれないけども――エゴっていうのはすごく狡猾でね、おもしろいもので、ある環境に入った場合、その環境で自分の都合のいい足場を探すんです。
 例えばですよ、一つの例を挙げましょう。例えばこのカイラスという場所がね、悟りを得るための場所であるとした場合ね、悟りを得るための場所っていうのは、逆の言い方をすると、エゴを破壊するための場所だとした場合ね――まあカイラスじゃなくてもいいんだけど、例えばインドのどっかのアシュラムでもいいわけだけども。例えばそこにある人が決心をして、「わたしは修行を始めよう」と。ね。足を踏み入れたとするよ。「わたしはエゴを破壊したいんだ」と。「真の悟りを得たいんだ」と思って足を踏み入れました。
 この瞬間はもちろん崇高な思いで足を踏み入れるわけだけど、足を踏み入れた瞬間から、エゴが足場を探しだします。
 足場を探しだすっていうのは、その場所は――もう一回言いますよ――エゴを破壊するための場所だったはずなんだが、そこに足を踏み入れた瞬間、エゴが、「さあ、ここでどうやってうまく快適に過ごしていこうかな」って考えだします。こうしてその場所はまた自分のエゴを満たすための場所に変わってしまう。
 これはもうきりがないんだね。きりがないんだけども、これは非常に狡猾な罠なので、絶対に誰もが九十九パーセントというよりも百パーセント陥る罠。だからそれは皆さんがどんなに素晴らしい修行団体に入ろうとも、どんなに素晴らしい師匠の弟子になろうとも、必ずこの罠に襲われるんだね。
 で、普通はそれを長い時間をかけ、勘違いしながらも、自分のいい部分は増大させて、で、ちょっと定期的に――その定期的にっていうのは、数年ごとかもしれない、あるいは数十年ごとかかもしれないけど――定期的にエゴをぶち壊される出来事とか環境がやってきて、で、それで修正されて。で、また心を入れ替えて、また進むと。でもまたすぐにエゴが浸食しだすと。この繰り返しになるんだね。
 でもこのナーローのやってるような世界っていうのは、そのような悠長な世界ではなく、徹底的に打ち壊されまくる道なんです。ちょっとだからこういうこと言うと皆さん怖いかもしれないけど、修行というのは一体何ですか?――徹底的に壊されまくる道であると(笑)。ね。で、最後には――ちょっと言葉では表現しづらいけども一応言うと――絶望という言葉さえない、完璧なる絶望がある(笑)。
 絶望ってさ、まだ余裕があるんだね。「絶望だ!」と(笑)、まだ全然余裕がある(笑)。ね。あるいは「おれはもう終わったー!」とかね。「生きる望みがない」とか、「もうわたしは生きてる意味が何もない」と。これは全部完全にまだ余裕があります。そんな余裕の隙間さえないくらいにぶち壊されなきゃいけないんだね。

◎エゴの破壊

 で、もう一回言いますけども、これは「普通の」といったらいいかな、普通の精神の進化のプロセスにおいては、緩やかにやってきます。緩やかにだけど必ずそのプロセスは必要なんだね。でもこの、マハームドラーといってもいいし、あるいはヴァジュラヤーナといってもいいんだけど、このヴァジュラヤーナ仏教、あるいはマハームドラー仏教といわれる道においては、これを滅茶苦茶矢継ぎ早にスピーディにやりまくるんだね。つまり壊しまくるんです。
 だから密教っていうと、特にこのカギュー派の密教とかっていうのは人気があるから――特にセックスを使った修行とかも一部ではあるから、そういうのに憧れたりしてね。あと酒も飲んだりするね。「このカギュー派の道っていうのは酒も飲めるし、場合によってはセックスもできるし、なんか楽しそうだな」と。ね(笑)。「密教っていろんな神秘的でエキセントリックなところがあって、おれに合ってるかもな」とか言いながら、ほんわかしたイメージを抱いてると思うんだけど、でもそんな甘い道じゃないんだね(笑)。壊されまくる道であると。ね。
 つまりどういう発想なのかっていうと、前も何回かこういうたとえで言ったけども、修行っていうのはどういうものかっていうと、軽自動車をF1レースカーに作り替えるような道だと思ってください。で、それをね、普通はちょっとずつやります。普通はちょっとずつやるっていうのは、「はい、じゃあまずどっからいきましょうかね?」――だって軽自動車を――わたし車の名前とか知らないけども、軽自動車があるとして、それをF1で勝てるような車に作り替えてなきゃいけないと。全然違うでしょ? F1カーって知ってるよね? 細長ーいちょっと前に羽がついてるような車ね。で、軽自動車――ちょっと丸っこいね、小さい車だと。作り替えなきゃいけないと。で、それを少しずつやるんです。少しずつっていうのは、「どっからいきましょうねえ。ちょっとどっからいっていいか分かんないぐらいだけども(笑)、でもまあとりあえず、羽つけましょうか」と、ね(笑)。ちょっとあまり本質的じゃないところから入るんだね。でもそれは弟子としては、なんかね喜びなんです。「あ! 羽ついた!」と(笑)。「あ、やった! なんかF1ぽくなった!」と(笑)。

(一部笑)

 「だって羽ついたじゃん」と。
 でもね、ちょっと考えてください。皆さんもう分かると思うけど、この羽、後でまた取ります(笑)。邪魔だから、今つけても。でも一応弟子っていうか、顧客を喜ばせるために、ちょっと羽つけちゃうんだね、最初ね。ちょっとそれっぽくするんですね。でもだんだんちょっとずつ本質的な作業に入っていく。「ちょっとやっぱり骨組みから変えなきゃいけないから、ちょっとずつドアとか外しましょうか」と。ね。で、ごまかしごまかしちょっとずつやるんだけど、やっぱりね、節目節目で、根本的な改造しなきゃいけないときが来るわけですね。それが大いなる痛みなんです。そもそも骨格変えなきゃいけないから、今までちょっとずつやってきましたが、一気にちょっと今回はこの胴体を一旦切り離しますよと。だって長くしなきゃいけないからね(笑)。できないから(笑)。「一旦切り離しますよ」と。ここでその弟子は大いなる苦しみを感じる。「え? この間まではなんかいい感じで進んでたのに、いきなりこんな自己破壊のようなことがくるんですか?」と。ね。で、こういう感じで進むわけだね。で、長い間かけて――まあ変な言い方すれば騙し騙し、エゴを騙し騙ししながら、なんとかF1レースカーができると。ね。
 でもこの道は一生で行けるか分からない。何生もかかるかもしれない。でもこのさっき言ったマハームドラ―とかヴァジュラヤーナの道っていうのは、師匠が登場して、「とにかくぶっ壊すぞ!」と(笑)。ね。こんなものあってもしょうがないと。一旦ぶっ壊さないと駄目ですよと。何でかっていうと、もうもとから全然違うから。ね。だから師匠がハンマーとか持ってきて、あるいはドライバーとか持ってきて、破壊に入るわけですね。まあドライバーで壊すのはまだ優しい方で、そんなことしてるのも生ぬるいと。もう一旦全部廃棄処分であると。ね。それはプレスみたいのでバーッとやるかもしれない。で、いったん溶鉱炉にかけて全部溶かしちゃうかもしれない(笑)。もう鉄の段階から作り直して(笑)、その方が早いと。ね。そういう感じでいったんぶっ壊して作り直すと。これがこのマハームドラー系の特徴なんですね。つまり最も早いんだが、でも最も厳しいっていうかな。エゴを持ってる人にとっては非常に苦悩を強いられる道なんだね。
 だからこの道――もちろん密教っていうのは、もともと師と弟子の強い繋がりが重要視されるわけだけど、特にこのナーロー系の道っていうのはその部分が強いんだね。つまりものすごい師と弟子の信頼関係がないと、もう全くできないね、それはね。
 だからこれも皆さんがその道に入るのか、あるいは入れるかどうかは別にして、今言ったようにこのナーローが辿った道っていうのは、その最も極端な話なわけだけども、その極端じゃなかったとしても、皆さんが柔らかい道を行ったとしても、あるいはハードな道を行ったしても、ハードにしろ柔らかいにしろ、このエゴの破壊っていうのは来なきゃいけないから。それはそれでしっかりと自分に言い聞かせておいたらいいね。

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