yoga school kailas

「聖者の生涯 ナーロー」⑧(1)


20100714 聖者の生涯 ナーロー⑧

◎言い訳をしてはいけない

 今日は「聖者の生涯」のナーローの生涯の続きですが、このナーローの生涯は、いつも出てる人は分かるようにね、あまりにも高度な部分がある話なので、なかなかついていくのが大変かもしれませんけども。
 ちょっとその前にね、全然関係ない、もうちょっと分かりやすい話を一つしますが、実はさっきこの勉強会の前にクラスがあって、そのクラスのときに、ホワイトボードにね、わたしが間違って油性ペンで書いちゃって(笑)、M君がちょっと消してくれたけどまだ全然消えてない(笑)。

(一同笑)

 で、それは別にどうでもいいことなんだけど、ちょっとこれを一つの題材としてね――何でわたし油性ペンで書いちゃったかっていうと、ちょっと梵字を書こうとして、ふと見たらホワイトボードの周りになかったんだね、ホワイトボードマーカーがね。「あれ? どこにあるんだろう?」と思ったら、ちょっと離れたところにペンがあったんですね。で、「ああ、これか」と思って書いたら油性ペンだったんだけど。
 ここでですよ、皆さんが同じようなこういう間違いを起こしたときに、おそらくね、弁明をしたがると思うんだね。弁明っていうのは例えば――いや、だってホワイトボードマーカーがいつもあるべき位置になかったと。ね。で、なくて、一番近い場所にこれがあったわけだから、それは間違えて当然じゃないですかって、弁明をしたがる心の働きが普通はあると思うんだね。で、これは勉強会で何回か言ってるけども、これは修行者はっていうか――修行者だけじゃないね――もし皆さんが自分の可能性というものを広げたかったら、決して言い訳はしてはいけない。あるいは弁明はしてはいけない。
 じゃあどういうふうに言えばいいのか。ね。いいですか? ちょっと理想的な言い方で言いますよ――わたしは本来、もっと注意力と直感力がなければいけないと。ね。つまり注意力や直感力があれば、これが油性ペンであるということは気づいていたはずだと。まず注意力があれば、当然、スッと目に入ったその形状からね、それをホワイトボードマーカーと思い込むことはありえないと。あるいは直感力があれば、似ていたとしても、ピーンと「あ、これは違うんじゃないかな」っていうふうに思わなきゃいけないと。それなのにわたしはミスをしてしまったと。これは完全にわたしのミスであると。わたしの不徳の致すところであると――これが正しいんです。
 つまり、これは一種のある意味でのいいプライドなんです。ね。つまり、わたしは本来はこんな間違いは絶対しないんだと。しかししてしまった。これはまさにミスであると。わたしの本当にまだ愚かなところだと。
 しかしですよ、さっき言ったように、例えば弁明をする場合――「ここにホワイトボードマーカーがなきゃいけないのになかったから間違っちゃったんですよ」とかね。「こんな間違いやすい位置に油性マーカーがあったから、わたしは書いちゃったんだ」――この言い方っていうのは「わたしバカです」って言ってるようなもんなんだね(笑)。あるいは「わたしは直感力や注意力がなくて当たり前ですよ」って言ってるようなもんなんです。一時的なね、自分の身を守るために人はこういう言い方するんだけど。
 で、これは何がデメリットかっていうと、今までの話を聞いたら分かると思うけども、無意識のうちに自分の可能性を狭めてるんですね。つまり何を言いたいかっていうと、ちょっと極端に聞こえるかもしれないけど、つまりこの人はこのような言い訳を続けるうちに、まあ今の話で言うならばね、「こんな紛らわしい位置にこれがあったから間違ったんだ」――この言い訳を続けるうちに、一生その人は紛らわしい所に何かあると間違えるようになります(笑)。つまりそれだけの注意力や直感力みたいなものが磨かれなくなるんだね。よって、これが一つの――よくね、言葉のカルマの話をするときによく言うんだけど――「決して言い訳をしてはいけない」っていう一つの教えなんだね。
 言葉のカルマっていうのは例えば、悪口を言っちゃいけない。これは分かりやすい。嘘をついちゃいけない。これも分かりやすいと。あるいは人を傷つけるような陰口とか、もちろんそういうのも駄目ですよと。あるいは綺語ね。意味のない冗談とかも駄目ですよと。これが一般的な四つの悪しき言葉なんだけど、もう一つ大事なのを付け加えるならば、この「言い訳」なんです。決して言い訳をしない。
 ただ、論評する必要性があるときは別ですよ。例えば仕事とかで、あるいは修行でもいいけども、何か「これはどういう理由でこうなったのか?」っていうことを話さなきゃいけないときってあるよね? そういうときに、別に「言い訳をしない」とか言ってやってたら、会社がうまくいかないし、問題点が明確にされないから、それはもちろんちゃんとしなきゃいけないんだけど、今まさに挙げた例のように、それを別に言わなくてもいい場合ね。単純にわたしのミスであると。わたしの注意力が足りなかったと。それをただ言えばいいときっていうのは、決してそれ以上の言い訳はしない。そうでないと、皆さんの可能性っていうかな、能力とかあるいは知性の可能性が狭まってしまうんだね。はい、これはちょっと全然ね、関係ない話でしたけども。

share

  • Twitterにシェアする
  • Facebookにシェアする
  • Lineにシェアする