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「私が見たブラフマ―ナンダ」より「我が師」(4)

 

わたしはマハラジがベルル・マトに滞在されている間はずっと、毎週土曜日と日曜日に彼を訪ねに行っていました。

 その当時、わたしはブラフモー・カレッジの寮で生活をしながら、勉学に励んでいました。

 知っての通り、ブラフモーはいくぶんか厳格であり、特に土曜日と日曜日は夜間に外出することは誰も許されませんでした。劇場は大抵、夕方から開演していたので、わたしたちは劇場に足を運ぶことも許されませんでした。

 
 
あるとき、マハラジは私に

、「土曜日、泊まりにおいで」

と仰ってくださいました。

「しかし、われわれの校長は、それはそれは大変厳しい方なのです。土曜日の夜、外泊することは誰も許されていないのです。」

 わたしはこのように答えました。

 
 
マハラジは次にこう仰ってくださいました。

「とにかくお願いしてみなさい。許可してくれるでしょう。」

 
そういうわけでわたしは、ベルル・マトに訪問し、一晩泊まることを許可してほしいという旨を、申請書に書きました。

初めに教育長から認可(外泊の許可)を得ねばなりませんでした。教育長はそれを推奨してくれました。

 そして私は校長の元を訪ねました。
もちろん私は十七歳の子供だったので、校長が申請書を読んでいる間、ぶるぶると震えていました。
 
 
 彼は

「この申請書を正確な英語に書き直してきなさい」

と言いました。

 
 私は何度も何度も読み返しましたが、間違いを見つけることができませんでした。私は英文学の教授の元に行き、申請書を見せました。
 
 

すると彼は

「ここにコンマを入れなさい」

と言いました。
 
 
私は言われた通りにして、校長に再度提出すると、彼は許可してくれたのでした。

 このようにして、わたしは毎週、ベルル・マトへ訪問することを許されたのです。

 

数ヶ月後、マハラジはハリドワールの近くにあるカンカルにお出かけになりました。
 
 それはドゥルガー・プージャーの時期の一ヶ月続く休暇中のことでした。
 わたしは、父が大学の学費と下宿費を払うために送ってくれたお金について思いを巡らせていました。

 わたしはそのお金を手に取り、父にこのような手紙を書きました。

「大量の借金があるために、寮から逃げ出しました。どうかわたしの兄弟に、寮に来てわたしの本やその他の物を収集し、それでわたしの負債を清算するように頼んでください。」

 そして私はハリドワールに向けて出発しました。ヴァーラーナシーへの道中、電車を乗り換えなければならないので、アドワイタ・アシュラムを訪ねました。
 

アシュラムの僧院長が私を見てこう言いました

「なにか手紙を持っていますか?」 

 私は「いいえ」と彼に答えました。

「あなたはマハラジにカンカルに行くと手紙を書きましたか?」

「いいえ。書いていません。」

「マハラジは、誰にもあちらへ行くことを許可していません。彼はこのようなことは好まれないのです。」

「手紙を書いている時間はないので、わたしは行きます。」

「そうであっても、あなたはここにはいられません。私はあなたが誰なのか知りませんし、ここにあなたを知る人は誰もいないのですから。」(知っての通り、当時、彼らは革命家と関係を持つことで警察に疑われることを恐れていたのです。)

 

 しかし、他のスワミが私のところに来て、こう言ってくれました。

「さあ、気にすることはない。彼が言ったことに耳を貸す必要はないよ。ここに泊まって行きなさい。」

 

 そして彼は僧院長のところへ行き、

「この少年のことについては、わたしが責任を取りましょう。彼は革命家ではありません。」

と言ってくれました。

 

 そして私は一、二泊ほどそこに滞在しました。

 私がハリドワール駅に着いたときは、朝の三時でした。そしてそこからは馬車を雇いました。

 わたしが僧院の敷地に入ったのは、まだ夜が明けやらぬ朝の四時のことでした。
そしてそこの周りにはいくつかのバンガローがあることに気がつき、その内のどれか一つにマハラジがいるかもしれないと、期待に胸を膨らませました。
 

しかし、どのバンガローでしょうか? 

 わたしは入り口のそばで待つつもりで、その中のあるバンガローのベランダに真っ直ぐに向かいました。
 すると、わたしが腰を下ろす前に、マハラジご本人がそのドアから出てこられました。そして彼の秘書であるスワミ・シャンカラーナンダジも続いて、また別のドアから出てきました。

 マハラジは私を見て、愛情を込めてこうおっしゃいました。

「やあ、よく来たね!」

 そしてスワミ・シャンカラーナンダジを振り返って、

「この新米修行者のために部屋を用意してやってくれないか。」
 

と言ってくださいました。

 

 こうしてわたしは、結核患者用の新しい建物へと案内されましたが、そこにはまだ入院患者はいませんでした。

 私は大広間の角に居場所を与えられました。
ほかにも三人の僧が、他の三つの角に滞在していました。
 
その三人の僧とは、ニルマール・マハラジ(当時ブラフマチャーリで、後にスワミ・マーダヴァーナンダとして知られ、僧院長になった)とバジェン、そしてドクター・マハラジ(プールナーナンダ)です。

 ある日、マハラジは大広間にいらっしゃり、わたしに会うと、こう述べられました。

「ああ、狭いだろうねえ。でも君たち四人は、この一つの部屋で寝泊まりするのだよ。」

 そして彼はこうおっしゃいました。

「こんな話を知ってるかね!――五十人のサドゥーは一枚の毛布で生活できるが、 二人の王は一つの王国に住むことはできない。」

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