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「ヴィヴェーカーナンダ」(20)

 コモリン岬の岩の上で、自分の使命に漠然と気づき始めたナレーンドラは、再び東海岸に沿って歩いてインド中央部へと向かいました。

 ハイデラーバードという地において、ナレーンドラははじめて公開講演を行ないました。聴衆は感動しました。このような活動を続けるうち、ナレーンドラの信者は増え、彼のアメリカ行きのために、信者たちがお金を集めました。

 しかしナレーンドラは、本当に自分がアメリカに行くことが神の意思なのか、まだ確信がありませんでした。そんな時彼は、示唆的な夢を見ました。夢の中でラーマクリシュナが、海の上を歩きながら、手招きをしているのでした。また、ラーマクリシュナの、
「行きなさい!」
という厳然たる声も聞こえました。

 また、ラーマクリシュナの妻であったサーラダー・デーヴィーに手紙で相談したところ、彼女もまたナレーンドラのアメリカ行きに祝福を与えてくれたのでした。

 こうしてついにナレーンドラは、アメリカ行きが自分の使命であることをハッキリと確信したのでした。

 アメリカ行きの準備がすべて整ったとき、ナレーンドラの信者であったケートリーのマハーラージャに王子が生まれたというニュースが飛び込んできました。ナレーンドラは王子を祝福するために、そのマハーラージャのところへと行きました。
 マハーラージャはナレーンドラに、アメリカ行きにあたって、新しい名前を自分につけさせてほしいと願い出ました。ナレーンドラは旅の途中、これまでたびたび名前を変えていたので、このときも快く了承しました。そのときこのマハーラージャがつけた名前が、後に西洋での大成功によって世界的に知られるようになり、ナレーンドラの宗教名として定着した――ヴィヴェーカーナンダという名前でした。

 その後、マハーラージャは、ヴィヴェーカーナンダを、踊り子が歌う音楽会に招待しました。しかしヴィヴェーカーナンダは出家修行者であり、世間的な娯楽を楽しむことは許されないので、その誘いを断りました。するとそのやり取りを聞いていた踊り子は傷つき、哀願をこめて次のように歌いました。

 主よ、私の罪を見ないでください。
 あなたの御名は、すべてを平等に見るお方ではないのでしょうか。
 一片の鉄は、神聖な寺院の中でも使われるし、肉屋が手にする包丁にもなります。
 でも、賢者の石に触れられると、この二つはともに黄金になります。
 ヤムナー河の水は神聖で、路傍の溝の水は汚れています。
 でも、ひとたびガンジスの流れに入ると、等しく清められます。
 ですから、主よ、私の罪を見ないでください!
 あなたの御名は、すべてを平等に見るお方ではないのでしょうか。

 この踊り子の少女の歌を聞いて、ヴィヴェーカーナンダは心を強く打たれ、大いなる示唆を受けました。すなわち、永遠に純粋であるブラフマンは、あらゆる存在に偏在する本質だということを。神の前には、善も悪も、浄も不浄などの差別はない。そのようなものは、ただブラフマンの光がマーヤーによって隠されるときに現われるのだということを。 
 それからヴィヴェーカーナンダは音楽界が催される部屋に行くと、目に涙を浮かべて、踊り子の少女に言いました。

「母なる神よ。私は罪を犯しました。この部屋に来ないことで、あなたを軽蔑しておりました。だが、あなたの歌は私を目覚めさせました。」

 その後ヴィヴェーカーナンダは、アメリカ行きの船に乗るためにボンベイへと向かいました。その旅の途中、兄弟弟子のブラフマーナンダとトゥリヤーナンダに会いました。ヴィヴェーーカーナンダのアメリカ行きの話を知ると、二人の兄弟弟子は非常に喜びました。ヴィヴェーカーナンダは二人に、アメリカ行きの理由を次のように説明しました。
「私はインドをくまなく旅しました。だが、ああ、君たち、私は民衆の悲惨さをこの目で見て苦闘した。私は涙をこらえることが出来なかった。まず最初に彼らの貧困と苦悩を取り除かずに、彼らに宗教を説くことは無益だと確信した。この理由のために――インドの貧しい人々の救済の方法を見出すために、私はアメリカに行こうとしているのです。」
 ヴィヴェーカーナンダは続けました。
「君たちの言うところの宗教は理解できない。」
 ヴィヴェーカーナンダの顔は血が上って紅潮していました。激情で震える手を胸において、さらに言い足しました。
「だが、私の心はますます大きくなり、感じることを学びました。信じてほしい。私は本当に激しく感じるのです……」
 こう言うと、ヴィヴェーカーナンダはもう言葉が出なくなり、沈黙しました。涙がとめどなく頬を流れ落ちていました。

 トゥリヤーナンダはこのとき、
「これはまさにブッダの言葉、仏陀の気持ちそのものではないだろうか。」
と思いました。

 そしてヴィヴェーカーナンダはボンベイに着き、予定通りに船に乗り、出航しました。このときヴィヴェーカーナンダは30歳でした。

 船はスリランカ、シンガポール、中国などを経て、日本に着きました。ヴィヴェーカーナンダは船で長崎、神戸へと行き、そこから陸路で大阪、京都、東京、横浜を見てまわりました。
 広い街に小さな家々、松の木で覆われた山々、潅木、苔、美しく整えられた池や庭園などに、日本人の生来の芸術的性格を見、ヴィヴェーカーナンダは感動しました。

 そしてヴィヴェーカーナンダは横浜から船を乗り換えて太平洋を横断し、ついにアメリカに着きました。船はバンクーバーに着き、そこから列車に乗り、世界宗教会議が行なわれるシカゴへと向かったのでした。

  
つづく

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