yoga school kailas

◎十善業

【本文】
 身体と言葉と心において常に十の善業の道を守り、酒を断ち、また高潔な生活を喜ばねばなりません。

 これは何回か勉強会に出ている人は分かると思いますが、「身体と言葉と心において常に十の善業」というのは、いわゆる十戒ですね。十戒――つまり、仏教の基本的な十の戒律があります。それは身体と言葉と心に分けられる、十の戒めがあるんだね。これはみんな分かると思うけども、じゃあT君、まず身体の戒めは何ですか?

(T)殺生・偸盗・邪淫。

 そうだね。殺生・偸盗・邪淫。つまり、生き物を殺してはいけませんよ――これは本当は殺生というよりも、「アヒンサー」というんだけど、「害するな」ということなんだね。あらゆる生き物を、あらゆる意味で、害してはいけませんよ。これが一番目。
 次が偸盗――盗みをしてはいけませんよ。
 三番目が邪淫――この邪淫というのは、二つ意味があります。やわらかい邪淫は、浮気とか不倫はいけませんよということ。厳しい邪淫は、一切の性的行為は駄目ですよということです。このどちらかだね。これが身体の三つの戒律というか善業だね。
 じゃあKさん、言葉の善業は? 善業というか戒律というか。

(K)悪口・両舌・嘘……

 あと一個あるね。大体忘れちゃって言えないことっていうのは、ちょっと乗り越えなきゃいけないことだったり(笑)……

(K)……綺語!

 綺語だね(笑)。簡単に言うと、悪口(あっこう)――これは悪口(わるくち)ですね。嘘。
 両舌というのは、簡単に言うと陰口です。面と向かって言う悪口ではなくて、その人のいないところで悪口をいうことによって、人と人の仲を裂いてしまう。だから両舌なんだね。
 これは両舌って気をつけなきゃいけないんです。その気がなくても、そうなってしまう場合があるから。自分としてはそんなに悪気はないんだけど、その人がいないところでぽろっとネガティブなことを言ったりする。それを聞いた人が、その人に対する思いがちょっとネガティブになって、自分ではそんな気がなかったんだけど、二人の仲が裂かれるという場合がある。だからこれは気をつけなきゃいけない。
 悪口もそうだけどね。わたしもそうだったけど、悪口って悪気がなくても悪口になる場合があるから。相手を何とかしようと思ってるんじゃなくて、ただ口が悪い(笑)。わたしもよく昔、若い女性の生徒とかに、「先生ってデリカシーがないですね」とか、よく言われたけども(笑)。なんとなく言っていることが、すごく相手を傷つけてしまうということがある。――もちろんね、相手を傷つけようと思って悪口を言う、これは最悪ですよ。だけど、こっちは愛情表現のつもりで、きついことを言ってしまう。それを聞いた方が、すごく心が傷つくと。これも悪口になってしまいます。
 最後は綺語ね。綺語というのは意味のない言葉、冗談。真理とは全く関係がない、ただの無駄話とかね。これが綺語だね。この四つの口のカルマをやめましょうと。

◎積極的な戒

 これは前も言ったけど、「善業」ということは、その逆を積極的にやらなきゃいけないんだね。
 もう一回身のカルマから言うと、「他を害さない」ではなくて、他の生き物の命を救うとか、あるいは慈愛を持って他の衆生に接するとか、これをやらなきゃいけない。
 「盗まない」じゃなくて、逆に施し――布施だね、これをしなきゃいけない。
 「邪淫をしない」だけではなくて、真愛のこもった、つまり心からの愛のこもった人間関係というのを保たなければいけない。これが積極的な考え方。
 言葉も同じですね。「悪口を言わない」だけではなくて、人を安らがせるような言葉を言わなきゃいけない。
 それから「陰口、両舌をしない」ではなくて、逆に人々を和合させるような言葉遣いをしなきゃいけない。つまり陰で、誰かのいいところを褒めるとかね、そういうことを積極的にやらなきゃいけない。
 それから「嘘をつかない」じゃなくて、もちろん積極的に真実、あるいは法施とも関係があるけども、真理を語らなきゃいけない。
 それから「綺語」もそうだね。意味のない言葉ではなくて、常に意味のある言葉、常に人のためになる言葉を語らなきゃいけない。これがより積極的な戒律ですね。
 ではCさん、心の戒三つは?

(C)貪・瞋・痴。

 そうだね、貪・瞋・痴。簡単にいうと、貪は執着。瞋は怒りとか憎しみとか嫌悪。痴――痴というよりも、邪見とかいうんだけど、間違った見解。
 まず執着は分かるよね。怒りも分かりますね。心に執着や怒りを持ってはいけませんと。で、三番目というのは無智といってもいいんだけど、誤った見解・考え方ね。ベースとして、ヨーガにしろ仏教にしろ必ずあるカルマの法則とか、あるいは輪廻とか、あるいは菩提心とか、そういったものを全く真逆にした教え。
 どういうことかって言うと、実際お釈迦様の時代というのは六師外道っていって、お釈迦様以外に尊敬されていた六人の師匠がいて、仏教とすごく似た教えを説く人もいたんだけど、めちゃくちゃな教えを説く人もいるんです。完全に唯物論を説く人とかね。「カルマなんてないんだ」という教えを説く人もいる。あるいは、「輪廻なんてないんだ」と。あるいは、「いや、そんな自分を捨てて人のために生きる菩提心なんて、そんなものは意味がないぞ」と。「そうじゃなくて、自分のために生きなさい」とかね。このような――細かいことは別にして、何が真理なのか、どのように生きなきゃいけないのかっていうベースの部分で、全く真逆のことを説く。あるいは全く真逆のことに頭が支配される。これが最後の邪見というやつだね。
 それはそうじゃなくて、逆にしっかりと教えを学んで、正しい自分の見解――世界の見方、人生の見方というものを、自分の中で構築しなければいけない。これが十の善業の道だね。
 それプラス酒を断ち――これは五戒の中に酒って入っているので、酒をやめなきゃいけない。そして、全体を通して真理をしっかり実践して、高潔な生活を喜ばねばなりません――というところだね。

share

  • Twitterにシェアする
  • Facebookにシェアする
  • Lineにシェアする