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「五つの障害と、五つの優れた法則」

◎五つの障害と、五つの優れた法則

【本文】
 興奮と悔恨、悪意、無気力と惰眠、愛欲、疑念、これら五つの障害は、善の財を奪う盗賊であると知るべきです。

 信、精進、正念、サマーディ、智慧、これらは五つの優れた法則であって、そのために努力をすべきです。これらは最高の力といわれ、また最上のものでもあります。

 これは、最初に出てきたのは「五蓋」といわれていて、五つの障害といわれるものですね。われわれの修行や瞑想の障害となる五つのもの。
 後で出てきたのは「五根」または「五力」。五つの力といわれて、逆にわれわれの修行を進めるもの。
 これはよく対比されるんだね。この五蓋――五つの障害を捨てて、五つの力を得なきゃいけないと。

◎興奮

 まず五つの障害からいくと、「興奮と悔恨」。この話は前から何度も話しているので簡単にいきますが、興奮と悔恨っていうのは、まず興奮というのは未来に対する期待や恐怖だね。例えば瞑想しててね、「さあ、この瞑想が終わったらお茶でも飲みに行くかな」と。最初はちょっとしたそういう思いだったかもしれない。「ああ、お茶でも飲みに行くかな」と。「この間行ったあのお店はちょっとコーヒーがイマイチだったな。そういえばあの街にああいうのができたな」と。一応瞑想の課題はあるんだけど、瞑想やりながら、最初はポツポツとした雑念だったのがだんだんそっちに取り込まれていって、「この間行った店は本当にひどかった。次あの店はどうだろう。次もひどかったらちょっと引っ越さなきゃいけないな」とか、そこまでは考えないかもしれないけど(笑)、とにかくボワーッと盛り上がるわけです。盛り上がって、盛り上がって、「はい。瞑想時間終わりました……K君、今日はいい瞑想できましたか?」「いや、ほとんどコーヒーのこと考えてました」(笑)――これが興奮状態。
 これは一つの例だけど、もちろんいろんなパターンがあるよ。例えば悪いパターンもある。今のは執着だけど、逆に、「ああ、そういえば、昨日会社でこういう失敗してしまったな。この瞑想終わったら会社行かなきゃいけないけど、一体みんなどう言うかな。本当にもう怖いな」と。これは逆に恐怖のパターンだね。つまり今のこの瞬間の瞑想に集中しなきゃいけないのに、そうじゃなくて未来のいろんなことに対して心がざわつく。
 あるいは未来とは関係ない場合もある。未来とは関係ない場合っていうのは、情報を入れすぎたとき、あるいは心が整理されていないときに起こる。例えば、別にこれから起きることじゃないんだけど、いきなり――これはわたしも前よくあったけども――最近観たテレビとか、漫画とか、インターネットとかの情報。あるいは昔観たものかもしれないけど、そういうものがバーッと出てくる、瞑想してると。ここでいう興奮というのはいわゆる興奮じゃなくて、バーッてざわつくってことだね。心の中でいろんなものがあって瞑想に集中できない。これも興奮といいます。
 それが形があるときと形がないときがある。形あるときっていうのは、もうまさにそれが出てくる。例えば漫画見すぎてドラゴンボールがバーッて出てきたりとか、あるいはテレビ見すぎてそのキャスターの顔が出てきたりとか、あるいはいろんな執着が多すぎてその執着のイメージがいっぱい出てきたりとか、こういう場合。
 それからそういうのが無い場合がある。それはつまり、何か落ち着かないと。何かイライラすると。だからといって何かイメージが出るわけじゃないんだけど、心が整理されてないがゆえにそういう心がざわついた状態になる。これは駄目だということですね。

◎悔恨

 はい、次に「悔恨」ね。悔恨とありますが、これは過去に対していろいろぐじぐじと考え続ける。「ああ、あれは本当に駄目だったな。失敗したな」と。あるいは「あれは本当に苦しかった」とか、あるいは「あの人にあんなふうに言われて本当に嫌だった」とか。もちろんそれがどんどん進むと、恨みになったりとかあるいは自己否定になったりとかいろいろ進んでいくわけだけど、その過去に対する無駄な心のとらわれね。
 もちろん懺悔は必要だよ。懺悔は必要だけど、懺悔っていうのは悔恨とか後悔とは違うんだね。懺悔っていうのは冷静な自己反省なんだね。冷静に過去を振り返って、「本当にこれは悪かった」と。「よって仏陀や神に懺悔いたします」と。そこで告白をして、後はもう心はスッキリしてるはずなんです。そうじゃなくていつまでもグダグダととらわれる。これは駄目だと。
 この二つね。つまり未来に対する興奮。それから過去に対する悔恨ね。これが一つ目の障害。

◎悪意、無気力、惰眠、愛欲

 次に「悪意」。悪意っていうのは、怒りとか憎しみとかあるいは嫌悪とか全部ひっくるめてのことだね。もちろんこういう気持ちが心の中にあると瞑想できませんよと。修行できませんよと。
 三番目、「無気力と惰眠」。これはそのままですね。無気力になってしまう。惰眠を貪る状態。これは修行進みませんよと。
 そして「愛欲」。愛欲っていうのは性欲だけじゃなくて食欲とかいろんなのも含めた欲望ですね。これに心が覆われてると修行進みませんよと。

◎疑念

 で、「疑念」。疑念というのは真理とか修行とかに対する疑念。あるいは別パターンとしては、「自分がこの修行やっても意味があるんだろうか」とか、「この修行は素晴らしいけど、自分は素質がないから自分は達成できるんだろうか? できないんじゃないか?」とかこういう疑念ね。だからもうやるからには徹底的に信じなきゃいけない。でもそこで疑念がわくと。
 いつも言うけど、例えばやらないんだったらいいんだよ。例えば修行合宿に来ましたと。修行合宿で三時間瞑想ですと。どうせ三時間やるんだったら徹底的に信じた方がいい。「この教えは素晴らしいし、この瞑想も素晴らしい」と。「そしてわたしも絶対これを達成できるんだ!」って思って三時間やらないともったいない。じゃなくて、三時間座ってるのに、「こんなの意味あるの? 何でこんなことやんなきゃいけないんだろう?」あるいは、「みんなはいいかもしれないけど、わたしは素質がないから絶対駄目だよ」と。これで三時間やってたらもったいない、非常に。だからやると決めたんだったら徹底的に信じる。信じて一切疑いを入れないということですね。
 で、この五つがわれわれの修行や瞑想を邪魔する五つの障害だといわれています。だからこの五つを取り除いていかなきゃいけない。

◎五つの機根と力

 で、逆にわれわれの修行を進める五つ。これが「信、精進、正念、サマーディ、智慧」――これもいつも言っていますね。『ヨーガ・スートラ』でもこの教えが出てくるけど、つまりしっかりと修行やあるいは仏陀や師匠や、あるいは自分がその道を歩んでいけるんだっていうことに対して信を持つ。
 そして実際に精進する。
 そして正念――常に正しい思い、正しい心の働きを失わないようにする。
 そしてしっかりと正しいサマーディに入って、実際に高い智慧を得ると。
 これが五根五力。五つの機根と力といといわれているものですね。
 だから五つのこの障害を捨て、この五つの機根と力を得るように努力してくださいということですね。

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