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◎トンレン

◎トンレン

 はい、じゃあ次。次は今度はトンレンね。

「トンレン(他者に幸福を与えることと、他者の苦しみを受け取ること)を交互に繰り返して修習せよ。

 それはまず、自分の苦しみを受け取ることから始めるべきです。

 この二つは、呼吸に乗せて行なわれるべきである」。

 はい。トンレンね。これはここのクラスでもいつもやってる慈悲の瞑想――「他者に幸福を与えることと、他者の苦しみを受け取ること、これを交互に繰り返して修習せよ」。これはまさに、みなさんがやってる瞑想と同じです。

 もちろんわれわれが何か実践できるときっていうのは、実際に実践しなきゃいけない。実際に自分の幸福を相手に与え、相手の苦しみを自分が背負うっていう実践をしなきゃいけないわけだけど、まずは精神的な意味で、われわれは常にこういうことを考えなきゃいけないんだね。

 さあ、みんなに――わたしの幸せはみんなに行ってください。みんなの苦しみはわたしに来てください。

 まあこれはね、『入菩菩提行論』ももちろんそうだし、あとナーガールジュナの経典にもよくそういうのが出てくる。

 もうちょっと詳しく言うと、カルマの法則ってありますよね。カルマの法則っていうのは、やったことが返ってきますよ――つまり、いいことやりました。いいことやったら、そのやったっていう行為が、後に熟するときが来るんです。カルマが熟して、つまりパーッと花が咲く。

 つまり、何かやったことによってその種ができるんだね。例えば人を苦しめた。例えば人を殴ったり馬鹿にしたりして苦しめたら、種ができます。その種が成長して、花開きます。花開いたときに、自分もみんなに馬鹿にされるとか、そういう結果として熟するんだね。

 で、いいことも同じ。人を幸せにしました。これは功徳っていう種ができます。これが熟して開いたときには自分が幸せになるんです。

 これは原則として、自分がやったことは自分が受けなきゃいけない。ね。

 これはもう当たり前の原則なんだね。MさんがやったらMさんが受けなきゃいけない。RさんがやったことはRさんが受けなきゃいけない。これは当たり前。

 しかしこの菩薩の祈りっていうのは、そのカルマの法則を逆転させて、わたしが今まで積んできた徳――これはわたしに返りませんように。みんなに行ってくださいっていう願いなんだね。で、逆に、みんながいろんな悪いことやってるけども、これは普通はRさんがやった悪いことはRさんに返んなきゃいけない。MさんがやったことはMさんに返んなきゃいけない。それはみんなそうなんだけど、みんながやった悪いことがみんなに返らずに、全部こっちに来てくださいと。わたしの中に返ってください――こういう祈りなんだね、基本はね。こういうことを常に考える。

 わたしの中にいろんな幸せのデータがありますと。幸せの種がありますが、わたしいりませんから、どうぞみんなに行ってくださいと。で、みんなが積んだ悪業は、苦しみはみんなに返らないで全部こっちに来てくださいと。こういうことを常に考えるんです。

◎自らのエゴの手術のために

 もちろんこれは、自分の心を変革するためにそれをやってるんだっていう強い思いも必要だね。これもよく前から言ってるけど、このトンレンって、ちょっと傲慢な人がちょっとこれを学ぶと、勘違いする人がいるんだね。つまり、「おれは偉大な存在であって、みんなの苦しみを背負ってあげてるんだ」みたいな感覚になってしまう。

 そうじゃないんです。自分はエゴに満ちてる。だから、このエゴっていうものを大手術しなきゃいけないんだね。その大手術する一つの方法として、このトンレンがあるんです。

 つまり、普段はわれわれは全然逆のことを考えてるわけでしょ。わたしの苦しみはわたし受けたくないですと(笑)。わたしが過去に積んだ悪業いっぱいあるけど、それはもうできれば受けたくないと(笑)。で、それを誰か肩代わりしてくれるんだったらそれはもうありがたいと。ね。

 みなさんの中にはもちろん、潜在的にそういう思いってあるよね。仮に例えば自分が過去に積んだ悪業によってね、地獄に堕ちなきゃいけないとするよ。地獄で体を八つ裂きにされなきゃいけない。でもそれが例えば何かの間違えで、閻魔様がなんか間違っちゃって、例えばわたしが地獄に堕ちるはずだったのが、全然関係ない例えばRさん、閻魔帳間違えて(笑)、間違えて「はい、Rさん、地獄」ってやっちゃった。で、普通はわれわれはエゴがあるから、そのときどう考えるかっていうと、ラッキーって思っちゃう(笑)。だって誰だって地獄に堕ちたくはない。体を切り刻まれるなんて嫌だと。それが何かの間違えでRさんになっちゃったと。ラッキーって思っちゃう(笑)。つまり、自分は嫌だと。誰かがそれを代わってくれるならそれはありがたいって思っちゃう。

 で、逆に、幸せは自分が独り占めしたいと思っちゃう。ね。できるだけ自分が幸せを得たいと。

 それはもう社会のシステム自体がもちろんそうでしょ。それがいい悪いは別にしてね。いい悪いは別にして、受験にしてもそうだし、あるいは恋愛にしてもそうだし、当然幸せの奪い合いだし。極端にいえばね。苦しみの与え合いっていうか。

 だってこういう菩提心とかいってたら、まず受験勉強できないよ。だって自分が受かるっていうことは誰かが落ちてるんだから(笑)。菩提心をもし完全に百パーセントやろうとしたら、わたしが受けると誰かが落ちなきゃいけないから受けませんと(笑)。あるいは恋愛なんかできないよ。あのさ、自分しか愛してない人だったら別だけど、もし一人でも恋敵がいたら、「ああ、どうぞ、どうぞ」と(笑)、しなきゃいけなくなる。ね。

 でも普通そうじゃないよね。普通は、さあ、恋愛したらいかに自分のものにするか。自分のものにするっていうことは、誰か相手がその失恋の苦しみを味わわなきゃいけないわけです。ね。つまりこれは与え合いでしょ。例えばボールみたいなもの。はい、失恋っていうボールがあります。失恋というボールを誰が受け取りますか? わたし受けたくないからあなた受けてください。つまり、自分は苦しみたくないからあなた苦しんでください――っていうことだよね。表面的にきれいに飾ると、恋愛もきれいな話なんだけど、実際そういうエゴの与え合いだよね。あるいはこの素敵な女の人と結婚する喜びを誰が受けますか? それはおれだと。お前には与えませんと。中には分け与えるっていう人もいるかもしれないけど(笑)、普通いないよね、そういう人はね。普通はやっぱりおれが受けたいからお前はあっち行けと。これが普通の当たり前。で、それはこの今の社会では別に普通のこととされてる。それはいいというか。

 オリンピックとか今やってるけど、オリンピックももちろんそうだよね。金メダル、自分が得る。これはまあ素晴らしいと。でも当然、多くの人が得られない苦しみっていうのを味わわなきゃいけない。

 だからといって、そういった一つ一つのことは全面的にもちろん悪いっていうわけではない。そういういろんなことを通して、われわれは成長していったりね、いろんなことを学んでいくこともあるだろうから。しかし仕組みっていうかシステムとしては、基本的にわれわれの世界はエゴでできてるってことだね。それが、最初にあげたように、一切の苦しみの原因なんだと。あるいは一切の問題の原因なんだと。

 しかしこれは、こびりついている。よって、それを逆転させるような発想が必要なんだね。それがトンレンなわけですね。

 つまりさっきから言ってるような、人間のエゴの働きとは全く逆のことをする。苦しみは全部こっちに来てください。喜びはみんなに行ってください。これが、われわれの苦しみのただ一つの原因であるエゴを大手術によって変革させる、非常に有効な手段なんだということですね。

 で、これを普段から、そういうことをひたすら考えてると、実際にわれわれが苦しみに出合ったとき、あるいは喜びに出合ったとき等も、それを応用して考えなきゃいけない。つまり普段からね、「さあ、みんなの苦しみ来い」と、「さあ、わたしの幸せはみんなに行ってください」って考えてる人が、何か苦しい状態に陥ったとするよ。それはもう願いがかなったってことじゃないですか。そう考えたらいい。あ、よかったと。例えばいきなりみんなに馬鹿にされ出した。よかったと。わたしの願いが一つかなったと。たぶん世界のあちこちで馬鹿にされてる人がいる。その人の苦しみが自分に来たんだと。だからこれは喜ばしいことだと。ね。

 もちろん実際はそうじゃないのかもしれない。単なる自分のカルマかもしれないけど、でもそれはそういうふうに例えば考える。ああ、本当にありがたいと。わたしはそういうふうに願ってたじゃないかと。あるいは、自分の幸せはみんなに行ってほしいと願ってたじゃないかと。そう考えるんだね。

 あるいは、逆に自分が幸せな立場に立ったときも、そこでおごらない。わたしはこの幸せをみんなにあげたいって思ってる。けど今幸せになっちゃった。ああ、わたしのまだ思いが足りなかったんだなと。ね。わたしはこの幸せを、もっともっと多くの人に分け与えたいと。こういう気持ちを持ちながら、その幸せを味わうというかな。

◎トンレンの驚くべき効果

 このトンレンがさ、昔からチベットでは病気治療に使われてるって話があったけど、わたしこのトンレンを知る前にした経験としてね、前から何回か言ってるけど、わたし高校生のころに修行してて、もちろん悪業があったからだけども、浄化が起きて体中がすごいいろんな浄化で、非常に何ていうかな、まあ後であるお医者さんに聞いたら、「それ、普通死んでます」って言われたぐらいの(笑)、いろんな浄化が起きたんだけど。その中でその一つとしてばい菌がね、体に入って、わきの下が本当にもうこぶし大ぐらいに膨れ上がったときがあって、で、もう痛くてたまらないんだね、そこが。ただそのときもわたしは一人で耐えてた。一人で耐えてたっていうのは、もちろん修行だから耐えるっていう気持ちもあったんだけど、病院が大嫌いだったんだね(笑)。病院行くぐらいだったら耐えると思って(笑)、すごい痛みを耐えてたんだけど。

 そのころわたしはまだヨーガとか始めたばっかりで、トンレンとか知らなかったけども、心の中でね、こう祈りを唱えてたんだね。それはどういう祈りかっていうと、わたしが今苦しむことによって、つまり痛みだね、この痛みっていうのは地獄のカルマだと。で、この痛みをわたしが味わうことによって、地獄の住人の苦しみがちょっとでもやわらいでほしいと。つまりわたしの方に地獄の住人の苦しみが来てくれと。そうしたら本望だ――っていうことを心の中で祈りながら、その苦しみに耐えてたんです。そしたらスッて苦しみが弱まるんです。苦しみっていうか痛みね。これは物理的にですよ。精神的に痛みがどうでもよくなるとかじゃなくて、物理的に痛みが弱まるんです。「あれ!?」って感じで。

 だからそのときは、まだそういう教えを学んでやったわけじゃなくて、なんとなく自分の中にフィーリングとして浮かんできたそういうことをやったら、「あれ!?」っていう感じで痛みがだんだん弱まっていった。

 だからわたしはそういうことにすごい信を持ったね。あ、みんなの苦しみを背負いたいとか、わたしが引き受けるという覚悟を持つっていうことは、逆に自分の苦悩を減らすんだなと。それは単純に精神的な問題ももちろんそうなんだけど、それだけじゃなくて物理的にもそうなんだなと。

 で、それをチベットでは昔からやってたんだね。つまりチベットでは、何度も言うけど、病気治療にこれを使うんです。何度も言うけど、お医者さんがやるんじゃないんだよ。ヒーラーとかいってヒーラーが「ウーン……患者の苦しみおれに来い」ってやるんじゃないんです(笑)。患者がやるんですよ。患者が、「わたしは今非常に病気で苦しいけども、世界中の病人の苦しみわたしに来てくださいと。それでいいですよ。わたしが病気が治るとか、安楽になるっていう喜びは、他の病人に行ってください」と。こういうことを患者がやるんです。そうすると、病気が治ったりする。あるいは治らないまでも、楽になるんだね。

 病気っていろんな精神的な苦しみが伴うじゃないですか。つまり、どうなっちゃうんだろうっていう恐怖とか、あるいは自分は本当に惨めだっていう思いによって、その病気の痛みとかが増幅されてる。それがそのトンレン的なことをやることで、まず精神的なものが非常に楽になる。で、それだけじゃなくて病気も治る場合もあるんです。

 実際はそういう例がたくさんあるっていうふうにいわれている。チベットとかのそういう病院でね。実際わたしの経験でも、それはそうだと思う。実際、物理的にも自分のカルマの変化によってね、病気とかも弱まる場合がある。

 だから繰り返すけども、普段からそういうトンレン的な「さあ、みんなの苦しみはわたしに来てください。自分の幸せはみんなに行ってください」っていう思いを持ってると、自分が苦しい目に本当にあったときも、あまり、逆にいうと動揺しないです。だってこれは、自分が望んでたことじゃないかと。

 あるいはそうじゃなくて、誰か幸せになってるときも嫉妬とかしないです。人間ってやっぱり瑣末な心があるから、嫉妬してしまう。「ああ、あいつばっかりあんなにいい目にあいやがって」って思っちゃうんだけど、そこでハッとしなきゃいけない。ハッ!――そういえばおれは今朝トンレンやってきたじゃないかと。「わたしの幸せみんなに行ってくれー!」っていってたのに、誰か幸せになってると「くそー!」って思うってどういうことだと。そういうふうに思わなきゃいけない。そのようにして心を訓練してくんだね。

 だから最初は、一日のうちちょっとだけのそういう訓練なんだけど、だんだんだんだんそれが自分の中にこう根付いて、もう自然にそういうふうに思えるようにまで自分を訓練していかなきゃいけない。

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