ラーマクリシュナーナンダ(5)
◎偉大な信仰と智慧
マドラスに赴任してからも、ラーマクリシュナーナンダは、師への礼拝を熱心に続けました。彼は師が生きているときと全く同じように、師に仕えました。たとえば、熱いうちに食べた方がおいしい食物を師に捧げるときは、竈に火を燃やしておき、そこから少しずつ、師に供えるのでした。また、食後には必ず木の枝のハブラシを用意し、供えるのでした。
昼食をお供えした後は、師が楽に休まれるように、しばらくの間、祭壇を扇で扇いでいました。夏の夜などは、うだるような暑さで師の眠りが妨げられないように、窓を開け、祭壇を扇で扇ぎました。また、ぶつぶつと師と何か話しているラーマクリシュナーナンダの姿が、よく見かけられました。
あるときは、ある政府機関の最高の地位にあった役人が、ラーマクリシュナーナンダを訪ねて来ました。ちょうどそのときラーマクリシュナーナンダは、朝の礼拝を終えて、師を扇で扇いでいるところでした。彼はそれを「シヴァであるグル、真理であるグル、永遠のグル、至高のグル……」などと師を称える文句を唱えながら行ない、顔は紅潮し、数時間、師を扇ぎ続けました。その様子を見た役人は、深い畏怖と尊敬の念に打たれ、ラーマクリシュナーナンダにひれ伏して、そのまま帰って行きました。
あるときは、議論好きのある大胆な学生が、亡くなった人の写真を礼拝するのは精神異常者であると、面と向かってラーマクリシュナーナンダを批判しました。それに対してラーマクリシュナーナンダは、師の写真や寺院の神像などは、単に感覚のない、生命のない、反応のないものではなく、会話することもできる生きた神々である、と答えました。この言葉の背後には、実に誠実で純粋な感情の響きがあったので、なんとこの懐疑的な学生は、ラーマクリシュナーナンダが言ったことは真実に違いない、と確信を持つようになってしまったのでした。
ラーマクリシュナーナンダは、その信仰心において偉大であったのみならず、知的洞察力も、それに劣らず偉大でした。彼は正統派のパンディットとサンスクリット語で会話をし、また彼が書いた聖者ラーマーヌジャの伝記は、大変権威のある書物になりました。
またラーマクリシュナーナンダは、ヒンドゥー教のみならず、キリスト教やイスラム教にも精通していました。たとえば彼は聖書を隅から隅まで知っており、正統派のキリスト教神学者たちでさえ畏敬の念に打たれるほどの洞察力で、それを解説することができました。彼はどこから見ても正統派のヒンドゥー教徒として生活していましたが、他の宗教の聖者たちにもこだわりなく心からの愛を抱いており、それはときには彼の保守的な弟子たちを当惑させるほどでした。彼は教会でクリスチャンのように跪いて祈ったり、キリストについて深い愛を込めて話しました。またある日、イスラム教徒の学生たちが、雨宿りのために僧院にやってきました。ラーマクリシュナーナンダは彼らを温かく迎え入れ、彼らに自分の信仰だけではなく、イスラム教の信仰についての話をしました。その話は非常に啓蒙的で学生たちの心を打ったので、彼らはその後もたびたび僧院を訪れました。
聖典の講義や宗教的な講演を行うとき、ラーマクリシュナーナンダは、単に聖典に書かれている知識を繰り返したりはせず、悟りの深みから来る言葉で、人々を感動させました。何巻もの本が書かれるような宗教上の問題についても、彼はわずかな言葉で説明することができました。彼には、物事の核心をつかみ、真実を簡潔に表現するという素晴らしい才能があったのでした。
あるとき地元の大学教授と政治・宗教について議論したとき、ラーマクリシュナーナンダはこう言いました。
「政治は意見の自由である。しかし宗教は意見からの自由である。」
またあるとき、宗教の二元論と一元論の体系について、こう言いました。
「二元論的方法においては(神との愛を)楽しむことが理想であり、一元論では自由が理想である。そのどちらもが崇高である。人は一つの理想から別の理想へと移る必要はない。」
またあるときは、科学と宗教についてこう言いました。
「科学は外的世界における人間の苦闘であり、宗教は内的世界における人間の苦闘である。しかし前者は失敗に終わり、後者は成功に終わる。宗教は科学の終わるところから始まる。」
しかしラーマクリシュナーナンダは、科学に対して偏見を持っているわけでもありませんでした。あるときは突然、地元の大学から天文学に関する最新の本を全部借りてきて、熱心に勉強しました。彼にとって、それらの本を理解するのは難しいことではありませんでした。
-
前の記事
ラーマクリシュナーナンダ(4) -
次の記事
ラーマクリシュナーナンダ(終)