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ラーマクリシュナーナンダ(4)

◎南インドへ

 師ラーマクリシュナへの帰依と同様に、ラーマクリシュナが弟子たちのリーダーとして定めたヴィヴェーカーナンダへのラーマクリシュナーナンダの愛も、比類ないものでした。ヴィヴェーカーナンダのどんな言葉も、ラーマクリシュナーナンダにとっては重大な命令以上のものでした。ヴィヴェーカーナンダのどんなささやかな望みでも、それを尊重するためには、彼はどんな苦労も厭わず、どんな犠牲も喜んで払いました。
 ユーモアにあふれていたヴィヴェーカーナンダは、ラーマクリシュナやヴィヴェーカーナンダに対する忠誠心と、厳格なヒンドゥー教徒としての保守性の両方を併せ持つラーマクリシュナーナンダを、ときどき、様々な方法でからかいました。あるときはヴィヴェーカーナンダはラーマクリシュナーナンダにこう言いました。
「シャシよ、僕は、君の僕に対する愛を試してみたいのだ。僕のために、イスラム教徒の店でイギリスパンを一つ買ってきてくれないか?」
 ラーマクリシュナーナンダは承知し、自らが守っている厳格な慣習を無視して、本当にイスラム教徒の店でイギリスパンを買って来たのでした。

 やがてヴィヴェーカーナンダが欧米に渡り、大成功をおさめてインドに帰ってきたとき、彼が自分のこれからの救済計画を初めて公に公開したのは、南インドのマドラスでの講演においてでした。それを聴いたマドラスの人々は、ぜひマドラスにも兄弟僧を一人派遣して、僧院を作ってほしいと要望しました。それに対してヴィヴェーカーナンダは、こう答えました。

「南インドの最も正統的な人たちよりもさらに正統的であり、それと同時にユニークで、神の礼拝と瞑想においてはその右に出る者はいない、という人物を送ることにしよう。」

 このときヴィヴェーカーナンダの頭にあったのが、ラーマクリシュナーナンダでした。マドラスをはじめとして南インドは正統派ヒンドゥー教の拠点であり、保守的な傾向が強い土地柄でした。その伝統的な流れを崩すことなく、さらにそこに新たな息吹を吹き込むことができる人物として、ラーマクリシュナーナンダはまさに最適と思われたのでした。ラーマクリシュナーナンダは深い信仰心と、伝統的なヒンドゥー教に対応できる深い知性の、両方を兼ね備えていたのです。

 マドラスに行くということは、師の遺骨から離れなければいけないということであり、それはラーマクリシュナーナンダにとっては重大な問題でした。しかしそれがヴィヴェーカーナンダからの指示であったため、ラーマクリシュナーナンダは喜んでそれに従ったのでした。

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