yoga school kailas

パトゥル・リンポチェの生涯と教え(106)

◎パトゥルが立派な曼陀羅を手放す

 供物をめったに受け取らないというのは、パトゥルの良く知られた習慣であった。供物を受け取った場合も、すぐに手放すのであった。
 ときどき、人々は宗教的なもの――ヴァジュラやベル、曼陀羅、ダマル太鼓、寺院で供養に使うお椀など――をパトゥルに布施した。パトゥルはそれらを受け取ることもあったが、それらがさまざまな善行や瞑想修行に使われるものであると分かると、他の修行者に譲るのだった。
 クンペルという名のゲロン僧院の僧がいた。彼はパトゥルの妹の夫の甥であった。極貧の家の出なので、出家したときはまったく教育を受けていなかった。誰も、彼の将来のことを期待する者はいなかった。彼は、ろうそくやバターランプを買うことすらできなかったので、夜に勉強するときには、月明りの下で本を読んだ。
 ある日、ある人が特別に、鐘青銅でできた立派な曼陀羅をパトゥルに供養しているときに、このクンペルがちょうどそこに居合わせた。そこに居合わせた人々は驚いた。クンペルがずうずうしく、「その立派な曼陀羅を僕にください」とパトゥルに頼んだのだ。そしてさらに彼らが驚いたのは、パトゥルがそれに同意したのである。

「もちろんだとも!」

 パトゥルは言った。そして、その曼陀羅をクンペルに渡し、こう言った。

「将来、君が大衆に向かってダルマの教えを説くときに、このような立派な曼陀羅が必要になる。そうではないかね?」

 それを聞いたある者は、パトゥルが少し皮肉を言ったのかと思った。その当時は(パトゥルを除いた)誰もが、この極貧の家の出の、一見普通に見える僧の将来を予知できなかったからである。この僧は、貧乏過ぎて、履く靴がなく、足からは出血していた。貧乏過ぎて、服は汚れており、継ぎはぎだらけだった。貧乏過ぎて、夜には本当に月の光で勉強をしていたのだった。誰も全く彼に注意を払わなかったし、彼の信仰、努力、勇気、そしてパトゥルのような師たちの祝福によって、この貧しい僧が最終的に名高い学者であり修行者である、偉大なるケンポ・クンペルへと変貌するとは、全く夢にも思っていなかった。パトゥルは彼を息子のように可愛がったのだった。

share

  • Twitterにシェアする
  • Facebookにシェアする
  • Lineにシェアする