聖者への供養の力
私の出身の福島で有名な会津磐梯山という民謡には、朝寝・朝酒・朝湯が大好きで、それで財産をつぶしてしまったという「小原庄助さん」という人物が出てきますが(笑)、原始仏典にもこの小原庄助さんのように、親からもらった莫大な財産を、遊び呆けてつぶしてしまった男の話が出てきます。
この男の親はどれくらの長者だったかというと、毎日一千万(単位は不明ですが、莫大な額であることは確かでしょう)ずつ使ったとしても、100年経っても尽きることはないほどの財産だったそうです。
しかしこの長者は息子に甘く、大変過保護に育てたため、息子は親が死んでからも遊び呆け、とうとう全財産を失ってしまいます。どんだけ遊んだというんでしょうか(笑)。
しかし生まれてからずっと超大金持ちの家で過保護に育てられてきた息子ですから、貧乏な生活などできず、借金をしながらぜいたくをしていましたが、とうとう借金も払えなくなり、土地や家屋なども失い、乞食のようになってしまいました。
するとそこへ、盗賊たちがやってきて、仲間になるように誘いました。無智なその男は言われるままに仲間になり、盗賊になりましたが、運悪く捕まってしまい、王の前に連れて行かれ、死刑を宣告されました。
さて、いよいよ男が死刑に処されようというとき、スラサーという名の遊女が、その前を通りかかりました。スラサーは男が裕福だった時の顔見知りだったため、
「彼はこの町でだれもかなわないような栄華を誇っていたのに、いまや盗賊に身を落とし、処刑されようとしているとは」
と、哀れみの心をおこし、砂糖菓子と飲み物を持って来てその男に渡すと、
「この世の最期に彼がこの砂糖菓子と飲み物を食べるのをお許しください。彼がそれらを食べ終わってから、処刑を行なってください。」
と、死刑執行人に頼みました。
ちょうどそのとき、お釈迦様の弟子で神通第一と呼ばれたマハー・モッガッラーナは、その超人的な天眼によって世の中を見渡し、この男が処刑されようとしているのを知りました。モッガッラーナは考えました。
「この者は前世の徳によって長者の息子として生まれたが、今生は何の功徳も積まずに、徳を減らし、悪業だけを積みつづけてきた。これによってこの者は死後、地獄に落ちるだろう。しかしもし今私がそこへ行ったならば、彼はあの砂糖菓子と飲み物を私に布施し、その功徳によって天界に行くことができるだろう。」
そうしてモッガッラーナは神通力によって、あっという間にその処刑場にあらわれました。
男は、モッガッラーナを見ると敬虔な信仰心が生じ、
「今まさに処刑されようとしている私にとって、この砂糖菓子を食べることに何の意味があろうか。この聖者様に供養しよう。」
と考え、その砂糖菓子と飲み物を、モッガッラーナに布施しました。
モッガッラーナは、彼の信仰心をより増大させるために、彼の目の前に座り、その砂糖菓子を食べ、飲み物を飲み終わると、去っていきました。
そうして男は処刑されました。男は本来地獄に落ちるはずでしたが、死の間際にモッガッラーナに行なった布施によって、第二天界に生まれ変わる素養を得ました。
しかし、最初に砂糖菓子と飲み物をくれた遊女のスラサーに対する愛着を持ちながら死んだため、少し引き下げられ、最も低い天の一つである地神(人間界の樹や土地などに宿る神)として生まれました。
一生遊び呆け、徳を積まず、悪を行ない続けたこの男が、死ぬ間際のモッガッラーナへの信仰心と布施功徳によって地神に生まれ変わったという話を聞いて、人々はおどろき、
「まことに聖者の方々は、すべての衆生にとっての福田である。その方々にわずかにでもなされた善い行ないが、天界への生まれ変わりをもたらすとは。」
と言いあって、大きな喜びを感じました。
さて、この一連の話を見てわかるように、この男、もともと大きな功徳があり、またモッガッラーナ尊者とも深い縁がありました。
よって、もしこの男が、若いころから怠けずに真面目に生きていたならば、親をもしのぐ最高の長者になっていたといわれます。
また、もしこの男が出家していたならば、解脱し、聖者になっていたといわれます。
しかし彼は女性にふけり、酒におぼれ、悪友と付き合い、思慮分別にかけた人間となり、徳を使い果たし、やがて持っているすべてのものを失い、悲惨な状態に陥ったのでした。
そして縁があったモッガッラーナ尊者の偉大な慈悲と神通力によって、なんとか地獄に落ちることは免れたのでした。
この物語は原始仏典の話ですが、なかなか興味深い、驚くべき話ですね。そして次のようなことを、改めて考えさせられる話だと思います。
・聖者(解脱者)に対する信仰と布施の驚くべき力。
・聖者への布施・供養とは、聖者がそれを必要としているわけではなく、布施をする者の利益のために、受けてくださるのだということ。
・聖者と縁を持つことの重要性。
・前生からの徳があったとしても、傲慢にならずにたゆまず徳を積みつづけることの重要性。
・徳の無常性と、今与えられたチャンスを逃さないことの重要性。
・悪友を避け、善き友を持つことの重要性。
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