パトゥル・リンポチェの生涯と教え(6)
◎学生パトゥル
パトゥルがシェチェン哲学大学(シェドラ)でシェチェン・オントゥル・トゥトプ・ナムギャルから勉学を学んでいた頃、同僚の中に、有名な若きトゥルク、ジャムヤン・キェンツェー・ワンポとジャムゴン・コントゥール・ロドゥ・タイェがいた。
そのときのキェンツェー・ワンポに支給される食糧は、常に彼の必要十分以上のものだった。貴族である彼の父は、富裕で力のある一族の出身だったからである。ジャムゴン・コントゥールも、家族がかなり裕福で、近くに住んでいたので、常に十分な食糧をもらっていた。しかしパトゥルは――理由は誰にもわからないが――しょっちゅう食べるものが不足していた。同僚の学生たちが食べ残したものを食べるのがパトゥルの習慣であった。食べ終わると、パトゥルは気持ちよく昼寝を楽しんだ。パトゥルが昼寝をするといつも、キェンツェーとコントゥールが、「いびきなんてかいていないで、勉強すべきだよ!」と言って、パトゥルをなじるのだった。
彼らは不平を言った。
「一体、どうしたっていうんだい? 僕たちの食糧をガツガツ食って、寝るなんて! 勉学とは何の関係もないじゃないか!」
パトゥルは答えて言った。
「先生が言ったことを復唱できたら、それで十分じゃないか?」
「もちろんそうさ! でも、復唱をするには、授業の後にも勉強することが必要だと思わないかい?」
パトゥルは頭を振った。
「そんなこと、ちっとも気にしてなかった。僕がやらなきゃいけないことは、授業で聞いたことを復唱することだもの。」
そして、そのように日々は過ぎて行った。コントゥールとキェンツェーは毎日、授業の後にも一生懸命勉強をし、パトゥルは彼らの残した食事を一生懸命貪り食い、日課の昼寝をした。
ある日、授業が終わると、いつものように三人の生徒は僧院の庵室に戻ってきた。パトゥルは、ツァンパ(大麦粉を炒ったものをお茶とバターと混ぜて作る伝統的な軽食)を食べた。ツァンパを食べ終わり、パトゥルがショールで顔を覆って、もたれ掛かり、昼寝をしようとしているところを、同僚が突然、邪魔をしてきた。
ジャムゴン・コントゥールはパトゥルを軽くつついて、こう言った。
「ねえ、起きてよ。君に、あることを説明してほしくてさ!」
顔からショールをとられると、パトゥルは答えた。
「何を説明してほしいのさ?」
「今日習ったことを、僕たちに教えてくれないか?」
ジャムゴン・コントゥールは言った。
「覚えられなくってさ。」
彼とキェンツェーは、いたずらっぽく顔を見合わせた。彼らは、パトゥルが途方に暮れるだろうと確信していたのである。
パトゥルはやる気満々に答えた。
「もちろんさ!」
びっくり仰天する二人の同僚たちに、パトゥルは、今朝シェチェン・オントゥルが声に出して講義したテキストと解説のすべてを、ほとんど一語一句違えることなく、復唱し始めたのである。それはまるで鋳型に流し込んで作られたレプリカのように、正確だった。
コントゥールとキェンツェーは、パトゥルが、かの有名なロンソム・マハーパンディタのように、たった一度聞いただけで教えを記憶する能力があるということを認めざるを得なかったのであった。
その後パトゥルは、ゾクチェン僧院の上方にあるルダムという荒野で、数年を過ごした。彼は、シンジェ洞窟(ヤマーンタカ洞窟としても知られている)で暮らした。この時期に、ロンチェン・ニンティクの前行の入門の書である、かの著名な作品「クンサン・ラマの教え(クンサン・ラマ・シェルン)」を書き上げたのである。
ヤマーンタカ洞窟の反対斜面の上にある、長寿の洞窟という洞窟で彼が暮らしていたとき、彼のゾクチェンの悟りは、空のような広大になったと言われている。
-
前の記事
パトゥル・リンポチェの生涯と教え(5) -
次の記事
パトゥル・リンポチェの生涯と教え(7)