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ライトエッセイ う・・・ウッディーヤーナ・バンダ

 正確にはウッディーヤーナ、またはウッディーヤナ。
 ちなみにパドマサンバヴァその他チベット密教でよく出てくるインド北方の古代の国は、ウッディヤーナ。

 おなかを引っ込めて、横隔膜を引き上げるバンダである。
 しっかりとバンダが入るようになると、そのうち下腹部の両脇に斜めの線が入るようになり、その後、腹直筋が浮き出てくる。これを回すのがナウリだが、ナウリは必ずしもできなくてもかまわない。

 ウッディーヤーナ・バンダは、肉体的には第二の心臓と言われる横隔膜を鍛え、また、内臓を引き上げるため胃その他の内臓の下垂を治す。
 しかしこれらは表面的な効果に過ぎない。
 現代ではよく、ヨーガを解剖学と結び付けて説明したりするが、ヨーガを体操ととらえるならそれもいいかもしれないが、本来的なヨーガの意味からするとずれている。もともとの人体のとらえ方が違うのだから。
 ウッディーヤーナ・バンダは、おなかのマニプーラ・チャクラからサマーナ気、またはそこにたまっているエネルギーを上昇させる。
 
 ムーラ・バンダまたはアシュヴィニー・ムドラーは、ムーラーダーラ・チャクラから上昇させる。
 アシュヴィニー・ムドラーを性器で行った場合(それをシャクティ・チャーラニーという場合もある)、スワーディシュターナ・チャクラから上昇させる。

 特殊な喉のバンダは、喉のエネルギーを上昇させる。

 ナボー・ムドラー(舌を上につける)は、その部分で途切れているとされる道をつなぎ、上昇させる。

 ちなみに仙道や気功では下丹田、中丹田、上丹田、または下庭、中庭、上庭などというが、これはつまり丹田のチャクラ、アナーハタ・チャクラ、アージュニャー・チャクラである。

 気功とヨーガと密教は相性がいい。わたしはヨーガや密教修行をやりつつ気功もよくやっていたころ、まず自然に下丹田が燃えるように熱くなり、そこからエネルギーが上昇するようになった。そしてしばらくすると、下丹田から中丹田までエネルギーの棒が入ったような道ができ、中丹田からエネルギーが上昇するようになった。さらにしばらくすると、中丹田から上丹田までエネルギーの棒が入り、上丹田からエネルギーが上昇するようになり、それが頭から抜けて、体の真ん中にエネルギーの棒が突き刺さっているようになった。このとき肩の力は自然に完全に脱力している。

 バンダはエネルギーを上昇させるものである。しかし一般的な喉のバンダは、エネルギーをせき止める。これはいわゆる肛門・おなか・喉のトライバンダの目的が、壺のようにしたこの胸の空間にエネルギーを閉じ込め(クンバカ=壺)、心臓へエネルギーを流入させることにあるからだ。これはチベット密教のサマーディに至る考えと全く同じだ。イーシュワラの項で書いたように、もともとチベット密教とハタヨーガは源流を同じくするので、このような共通項が多くあってもおかしくはない。

 ところでここでいう「エネルギーの上昇」とは、スシュムナー管のクンダリニーの上昇、あるいは中央管のトゥモの上昇である。

 よく現代のヨーガや瞑想やスピリチュアルの世界で、グラウンディング(グラウディング?)という言葉がもてはやされていますが、あれはどこから、だれが言い出したんでしょうね笑

 わけのわからない妄想的なスピリチュアルの世界でぼーっとしないで、地に足を着けて生きましょう、的な比喩的な意味で使われるならそれはいいと思います笑 あるいはアーサナの安定という意味で使われることもあるのかな? 
 しかしもっと物理的に、エネルギーを下に下げるという意味でもよく使われていますよね。エネルギーは上がりすぎると危険だから下げろとか。
 心配しなくても、危険なほどエネルギーが上がることは、まずありません。

 多くの場合、エネルギーが上がってぼーっとしたような、あるいは精神が不安定な感覚になるのは、単にのぼせているだけです笑。言い換えれば自律神経がちょっと狂っている状態です。

 そうではなくて本当にスシュムナーをエネルギーが上がり、頭頂のブラフマ・ランドラに入った場合、別の意味でというかもっと違う感じでぼーっとしたような、くらくらした感じになることはあります。気を失う場合もあります。なれれば大丈夫ですが。

 しかしこれも実際はそんなに危険ではありません。しかし気道がかなり詰まっている場合は危険なこともあるかもしれません。ですからこういう本格的なヨーガをやりたい場合はしっかりとした師につくことですね。

 さて、先ほどエネルギーが危険なほど上がることは心配しなくともまずないと書きましたが、それはなぜでしょうか? それはこのマニプーラ・チャクラの裏側に結節、壁があるからです。
 つまり我々は下の三つのチャクラの世界に閉じ込められているんです。
 一般的な意味では上の方のチャクラも使っていますが、本質的な意味では使えていません。
 ですからこの結節を破らない限り、本当の意味でへそから上にエネルギーが上がりきることはありません。

 ただこの結節の破壊も、ものすごく難しいことのように言う人もいますが、実際は正しい修行を続ければそんなに難しいことではありません。
 実際には行だけではなくて、低位の心の働きを浄化していく訓練も必要です。そうしないとエネルギーは上がりません。

 まあとにかく、現代は下降傾向の社会であり、結節もバリバリに詰まっているので、ガンガンガンガンエネルギーを上げ続けない限り、なかなかエネルギーは上がらないし、結節も破れません。「エネルギーが上がりすぎると・・・」なんて言ってる場合じゃありません笑。逆に下がりすぎているので、あらゆる方策を使って本質的にエネルギーを上昇させなければなりません。このエネルギーシステムが完全に下降傾向から上昇傾向に逆転すること、これがクンダリニーの最初の覚醒といってもいいかもしれません。

 本質的にエネルギーが上昇するとき、ものすごいエクスタシーが生じます。これは強烈な性的な感じにも似た快感です。そして頭頂に達し、そこの鍵が開かれると、アムリタ(甘露)がしたたり落ちます。これはとろけるようなエクスタシーです。このアムリタが落ちない限り、本当の意味でのチャクラの浄化は不可能です。

 仙道などではよくまず最初は意念(イメージ)だけで小周転などでエネルギーを回したりしますが、本質的な意味でのエネルギーを回すとは、このクンダリニーやトゥモが上昇し、アムリタが下降し・・・を繰り返すことを言います。これによってエネルギーが練られ、最終的には体中がエネルギーに包まれた飽和状態になります。そこからより深い瞑想状態に入っていきます。

 ところで現代では、このようにエネルギーを回すことに成功しても、歓喜が生じない、あるいは弱いという場合もあるようです。これは何かが足りないんでしょうね。徳、バクティ、慈悲などの何かが。
 このようなエネルギー系ヨーガと相性がいいのはバクティヨーガです。ですからハタヨーガやクンダリニーヨーガで本当に結果を出したい人は、バクティヨーガをしっかりとやるといいでしょう。というかバクティヨーガがないエネルギーヨーガはまず不可能です。

 バクティヨーガは神様に祈ったり帰依したりしなければいけないので、現代では敬遠する人も多いかもしれませんが、繰り返しますが、現代的なアーサナや呼吸法のヨガの本質的な姿であるハタヨーガやクンダリニーヨーガ、これらはバクティヨーガ無しには不可能です。技術だけやっていた場合、体操や健康法としての効果はあるかもしれませんが、本来のヨーガの効果は得られないでしょう。それだとせっかくヨーガに出会ったのに、その果報の一億分の一も受けられないということになってしまいます。ですから、ヨーガをやっている皆さん、ぜひバクティヨーガの世界にも足を踏み入れましょう笑

 またちょっと長くなってしまいましたが笑・・・まあ特に構成も結論も考えずに軽く書いているという意味でのライトエッセイですね笑 ウッディーヤーナ・バンダから始まって最後はバクティヨーガの勧めになってしまいました笑

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