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ラーマーヌジャ&ユクテーシュワルお誕生日

 今日は、バクティヨーガの大聖者ラーマーヌジャ、
 そして「あるヨギの自叙伝」でおなじみのヨーガーナンダの師匠ユクテーシュワル(ユクテスワ)のお誕生日です^^

『あなたの精神的指導者を崇めなさい。そして聖者たちを崇めなさい。
 過去の偉大な聖者たちの教えに、真摯な信仰を持ちなさい。
 決して、感覚の奴隷になってはいけません。
 世俗的な知識の収集に満足してはいけません。
 神の偉大さと彼の創造物の不可思議についての本を、繰り返し読みなさい。
 もし偶然にも、あなたがグルの恩寵によって智慧を輝かせることに成功したならば、感覚の対象に魅力を感じる事は絶えるでしょう。すべての感覚に無関心でいることを学びなさい。
 神の御名と栄光を口にするのと同じくらい何度も、神の信者たちの名前と栄光を話すことを喜びなさい。
 覚えておきなさい。神の信者に奉仕する者は、素早く神を実現するでしょう。
 どんなにあなたが賢くても、神と神の信者への奉仕にあなた自身を捧げることがなければ、あなたは救われないでしょう。
 決して、私欲を満たす手段としてヴィシュヌ派教団の生活を考えてはいけません。理想を実現するためだけに努力しなさい。』

 ――ラーマーヌジャ

『1日のうち少なくとも1時間は、あなたのグルの偉大さを瞑想しなさい。
 そして毎日、アルヴァースや他の聖者たちの神聖な書物を読みなさい。
 いつも、神に没頭する道を行く仲間といることを求めなさい。そして「救済に導かれる他の道があるよ」という者たちを避けなさい。
 汚い金儲けや感覚の楽しみを追及する人々と関わってはいけません。
 できる限り神の信者と交わりなさい。
 神の神聖な像をただの石だと見る者や、彼ら自身の精神的な指導者を普通の人間と見る者、カーストの高低によって優れた信者たちを見る者、一切の罪を浄化し洗い流すパワーを持ったグルの御足に触れた神聖な水を普通の水と変わりないと言う者、神聖なマントラをただの音の集まりだという者、至高の神々の世界をデーヴァよりも高くないという者は誰でも――苦しみから救うべき者達なのだと見なしなさい。』

 ――ラーマーヌジャ
 

『真に神の御足に自己を投げ出した者は、将来についてどんな思考も向けてはなりません。それは、全面的な彼への自己の明け渡しです。
 ――その繋がりの中では、ほんの少しの心配でもあるならば、それは自己放棄という名の偽善的行為だとあばかれます。
 人生のすべては、過去のカルマによって決定されています。――だから、それを嘆き悲しむのは適切ではありません。
 あなたの義務の遂行を、現世的な目的を叶えるための手段として考えるべきではありません。それらを至高者への奉仕であると見なさい。』

 ――ラーマーヌジャ

 過去のことは忘れなさい。
 過去の生活というものは、誰にとっても暗く恥の多いものだ。
 人間は、神の中に碇をおろすまでは、何をやっても頼りないものなのだ。
 しかし、お前が今からでも霊的修行の道に入って努力するなら、未来は何事も好転してくるだろう。

 ――ユクテーシュワル

 古の聖賢たちは、一つの文章の中に、後世の学者たちが何代かかっても注釈しきれないほどの深遠な意味を含ませた。表面的な言葉だけを取り上げて、切りのない議論を続けることは鈍物のすることで、このような方法から得られる進歩は遅々たるものだ。
 それよりも、”神が存在する”という確信、また、さらに単純な、「神よ」と絶えず語りかける気持ちこそ、より速やかに解脱をもたらすものだ。

 ――ユクテーシュワル

 人生は、われわれが自分の心を神のご意思に同調させることができるようになるまでは、悲しみに悩まされなければならない。神が正しいとされる道は、しばしば人間の利己的知性による理解をはるかに超えている。

 ――ユクテーシュワル

 真心を欠いた礼儀は、死んだ美人のようなものだ。
 また、礼儀を欠いた露骨な率直さは、外科医のメスと同様、効き目は鋭いが不愉快なものだ。
 相手に対する思いやりをこめた率直さこそ、真に効果があり称賛に値する。

 ――ユクテーシュワル

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