「アドブターナンダ」(9)
1090年12月のある夜、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダは、欧米への二度目の布教旅行からインドにもどってきて、出し抜けにベルル僧院(ラーマクリシュナ・ミッションの本部)に現われました。
そこには多くの兄弟弟子がいて、ヴィヴェーカーナンダと再開を喜び合いました。
しかしアドブターナンダはそのとき僧院内におらず、僧院のそばの船着場に座っていました。ヴィヴェーカーナンダが帰ってきたという知らせを受けても、アドブターナンダはそこを動こうとはしませんでした。
ヴィヴェーカーナンダは僧院で食事を終えた後、船着場にいるアドブターナンダに会いに行きました。二人は抱き合い、少し挨拶を交わした後、ヴィヴェーカーナンダは言いました。
「どうしたんだ? 君以外はみな、私に会いに来た。君は私が嫌いなの?」
「嫌いなはずがないではないか。私の心がここにいたかったのだ。だからここにいたのだ。」
「君は僧院に滞在していないと聞いた。どうやって生活しているのだ?」
「ウペーン・バーブが助けてくれたのだ。頼まないと食物がもらえないような日には、私は彼の店の近くに立っていたのだ。彼はすぐに察して、四アンナや二アンナの硬貨をくれた。」
これを聞いて、ヴィヴェーカーナンダは天を仰いで言いました。
「おお、主よ。ウペーンに祝福を。」
まるでこの簡素な祈りがかなえられたかのように、ウペーン・バーブはこの後、非常に裕福になりました。
アドブターナンダは自分では文字が読めなかったのですが、聖典の朗読を聴くのは大好きでした。
あるとき、一人の僧が聖典カタ・ウパニシャッドを、アドブターナンダに読んで聞かせていました。
「プルシャ、親指ほどの大きさもない、内なる自己、これは人の心の中に常に存在している。人をして彼を忍耐強く肉体から分離せしめよ。草の葉から柔らかな葉柄を分けるように。」
この一節を聞いたとき、アドブターナンダは、「まさにそのとおり!」と叫びました。彼は文字は読めませんでしたが、このような聖典に説かれる境地に実際に達していたのです。
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