yoga school kailas

ジャータカ・マーラー(18)「象の捨身」

 ジャータカ・マーラー 第十八話「象の捨身」

 世尊がかつてまだ菩薩だったあるとき、人里離れた美しい森に一匹で住む巨大な象だったことがありました。
 彼はそこで、木の葉とレンコンを食べ、足を知ることと寂静を楽しんでいました。

 あるとき、その偉大なる魂が歩いていると、森の外の荒野の方から、人々の声がするのを聞きました。彼は考えました。

「いったいこれはどうしたことか。このあたりには、どこかに赴くような道もないのに。また、このような大きな荒野は、狩猟にもふさわしくない。また、我々の仲間である象を捕らえようとするのは、大変な疲労をもたらすだけである。
 おそらくこの人々は、道に迷ったか、王の怒りに触れたか、あるいは非行の故に追放されたかであろう。
 なぜなら、彼らの声は力なく、喜びなく、悲泣している人の苦悩の声に聞こえたから。」

 そこで偉大なる魂は慈悲の心に引かれて、とにかく事実を確かめようと、声のする方向へと進んでいきました。そして遠くに七〇〇人ほどの人間がいるのを見たのです。彼らは飢えと渇きと疲労のために弱り果てているようでした。
 偉大なる魂は、彼らの方へと歩を進めました。巨大な象がやってくるのを見て、その人々は恐怖心に襲われましたが、飢えと渇きと疲労のために、逃げる力さえも残っていませんでした。

 そこで菩薩は、恐れることはないと言って彼らの恐怖を取り除くと、彼らがなぜここへやってきたのか、そのわけを尋ねました。

 それを聞いてその人々は、自分たちの事情を語りました。

「象の王よ、私たちは国王の怒りに触れてしまったために、ここに追放されたのです。
 追放されたのは一〇〇〇人の人々でしたが、飢えと渇きと悩みとに打ち負かされ、多くの人々が死に、今は七〇〇人ほどになってしまいました。」
 
 これを聞くと、慈悲を習性とする偉大なる魂の目から涙がこぼれ落ちました。そして彼は、象としての自分の身体の肉を彼らの食料に、腸を彼らの水を入れる袋として布施しようと思い立ち、心中にこう考えました。

「幾百もの病の住居であるこの体を、私は、苦難に満ちているこの人たちの筏として提供しよう。
 人間の生は、天や解脱に至ることができる貴重なものである。彼らのこの得がたい(人間の生)という機会が、消滅することのないように。
 私の境界内にやってきたこの人たちは、正式な私の客人である。その上彼らはこのように苦難に陥り、親族にも見捨てられている。よって私は彼らをとりわけ慈しむべきである。
 この行為によって、この私の身体という無益の塊は、久しくしてようやく利他行に役立つことができる。」

 偉大なる魂がこのように考えているとき、人々のある者は彼に、水のある場所と、この荒野を抜ける道を教えてくれるように頼みました。そこで彼は、その大きな鼻によって方向を示しながら、こう言いました。

「あの山の下の方に、紅蓮華と青蓮華に飾られた清水の大きな池がある。そこへ行けば、暑さ・渇き・疲労は取り除かれるであろう。さらにその近くに、象の死体がある。その象の肉を旅の食料とし、腸を袋として水を携帯して、まさしくこの方向に行きなさい。そうすれば君たちは無事にこの荒野を抜けることができるだろう。」

 このような象のアドヴァイスを聞き、人々は安心して、彼が示した方向へと出発しました。そしてその偉大なる魂は、大急ぎで別の道を通って、彼らが向かっている山の上に登ると、そこから身を捨てる決意を固めました。

「この努力は、私が善趣や、王の位や、天界やブラフマー神の世界や、解脱の境地に至ることを望んでおこなうのではない。
 しかし、もし私のこの行為によって少しでも功徳が生じるならば、その功徳によって私は、輪廻の荒野で苦しむ衆生の救い主になりたい。」

 このように決意すると、偉大なる魂は喜びに包まれつつ、その山の崖から身を投げたのでした。
 それを見て神々は驚き、ある神々は、香りの良い花を、落下していくその体に絶え間なく注ぎかけました。
 またある神々は、黄金の装飾で輝く美しい天の衣を彼にかけました。
 またある神々は、賛歌を唱え、恭しく頭を下げて彼に敬礼しました。
 またある神々は、香りのよい風を彼に吹きかけました。
 またある神々は、空中に厚い雲を作って、彼の日よけとしました。
 またある神々は、天の太鼓を鳴り響かせました。
 またある神々は、そこの木々に季節外れの花や果実をつけました。

 さて、七〇〇人の人々は偉大なる魂に言われたとおりに進み、池で暑さ・渇き・疲労を取り除くと、その近くに、彼が話したとおりに、一匹の象の死体があるのを発見しました。
 彼らはその象の死体を見て、先ほど自分たちを救ってくれた象によく似ていたために、おそらく彼の兄弟か親戚か息子だろうと考えました。
 しかしよく観察しているうちに彼らは、この象がまさしく先ほど自分たちに道案内をしてくれたあの象であることに気づいたのでした。

 その中のある者たちはこう言いました。

「彼は我々を救うために、この山の崖から身を投げたのだ。
 彼は我々の系譜も、宗教も知らない。我々は幸運に見放され、また有名なわけでもない。にもかかわらず彼は、このような友情を示してくれた。
 この偉大なるお方を礼拝しよう。
 このお方は、一体どこでこのような立派な生き方を学んだのであろうか。
 優しい親戚や友人よりもさらに慈悲深く、見も知らぬ我々をこのように喜んで助けに来る、自分の生命さえ我々のために与えることに専念する、このようなお方の肉を、誰が食べることができようか。よって我々は、彼の肉は食べずに、彼のために儀式をおこなおう。」

 しかし別の持つ者たちは、こう言いました。

「そのような儀式をおこなったとしても、この立派な象は決して尊ばれたことにはならない。彼の偉大なる願いこそを叶えるべきである。
 彼は我々の親戚でもないのに、我々を救おうと考えて、自らの身体を捨てたのだ。
 故に、彼の願いに沿うことがふさわしい。
 彼は慈愛の故に、彼の所有物のすべてであるこの肉体を、我々の歓待のために差し出したのである。それを受け取らなければ、このお方の布施が無益なものになってしまう。
 それ故に、彼の言葉を師の言葉として受け取り、彼の望んだとおりにすることにしよう。」

 こうしてその人々は、偉大なる魂が指示したとおりに、その肉を食料とし、腸を水入れとして、その荒野を脱出したのでした。

share

  • Twitterにシェアする
  • Facebookにシェアする
  • Lineにシェアする