要約「シクシャー・サムッチャヤ」(28)「清浄」
第八章 清浄
◎自身清浄
「自身が清浄なるときは、功徳を積むにふさわしい器となる。
正しく成熟し、すべての生き物に利益を与えるべし。」
「あたかも雑草に覆われた穀物は茂らず、滅びてしまうがごとく、
煩悩に覆われた仏性の苗は、生長しない。」
「いかにして自己を清浄にするかというならば、悪業と煩悩を浄化するのである。
仏陀の教えに、努めて従うべし。そうしなければ、地獄に落ちる。」
では、過去に積んだ悪業を浄化するにはどうすればいいのか。
チャトゥルダルマカ・スートラ(四法経)には、こう説かれている。
「もし偉大なる菩薩が次の四つの法を成就すれば、過去に作った悪業の集積を滅することができる。
①懺悔行
②対治行
③制止力
④帰依力
懺悔行とは、悪業を繰り返し懺悔することである。
対治行とは、悪業を凌駕するほどの多くの善業を積むことである。
制止力とは、戒律を日々唱えることによって、新たな悪業を積まないようにすることである。
帰依力とは、三宝に帰依し、また菩提心を捨てないことである。
これらの法を成就するならば、過去に作った悪業を滅することができるのである。」
①懺悔行
懺悔行については、スワルナプラバーソーッタマ・スートラ(金光明経)に、こう説かれている。
「十方に偏在する世尊よ、哀れみの心をもって、常に私を見てください。
私が過去に作った広大なる罪業を、十力者の御前にて、みなあまねく懺悔し奉る。
いまだ仏陀を知らざるとき、いまだ善悪を知らずして、私はこの罪を作った。
親族を頼り、財産に頼り、傲慢・怠惰にして、私はこの罪を作った。
心の念と、言葉と、行動において、悪業を作ってきた。
おろかにして悪しき行為を行ない、心は煩悩に覆われ、無智の闇に覆われ、悪友に近づき、世俗の楽しみに愛著し、あるいは憎しみの心を起こし、財産において満足の心なく、私はこの罪を作った。
不誠実、物惜しみ、ねたみの心が生じていたがゆえに、聖者に親しむことなく、私はこの罪を作った。
欲望によって恐怖が生じ、私はこの罪を作った。
愛欲と嫌悪によって心は乱れ、飢渇に駆られて、私はこの罪を作った。
飲食物と衣服と性欲の三つによって縛り付けられ、熱悩が生じ、私はこの罪を作った。
これらすべての身・口・意の悪業を、私はすべて懺悔し奉る。
また、かつて私は解脱者や菩薩に対して恭敬を生じさせなかった。私は懺悔し奉る。
また、徳あるもろもろの説法師を、席を立って歓迎しなかった。私は懺悔し奉る。
また、正法を誹謗したがゆえに常に無智になり、父母を敬うこともなかった。私は懺悔し奉る。
過去・現在・未来の十方の仏陀よ、私を守護し、私を哀れみ、わが懺悔を受けたまえ。
私は過去に100カルパにわたってもろもろの罪を作ってきたがために、常に激痛と恐怖の心を抱いている。慈悲をもって、願わくば私の罪を浄化したまえ。
私の心は常におびえ、弱弱しいがゆえに、このもろもろの悪業の果報を恐れている。動くときも、立つときも、座るときも、寝るときも、心が喜び楽しむことはない。
大悲によってもろもろの世界の恐怖を取り除く、もろもろの仏陀よ。願わくば今、私を受け入れ、もろもろの恐怖から解脱させたまえ。
私は、過去において犯したすべての罪を、如来に対して懺悔し奉る。大悲の水をもって、煩悩の垢を洗浄したまえ。
私は身における三つの悪業、言葉における四つの悪業、心における三つの悪業をすべて懺悔し奉る。
そして未来においては一切の悪業を行なわない。」
ウパーリパリプリッチャー(ウパーリ所問経)には、こう説かれている。
「大乗に住する菩薩が、ガンガーの砂の数ほどの多くの愛著の罪を犯し、また、一つの嫌悪の罪を犯したとする。この二つを比べるならば、後者の方が重いのである。なぜならば、嫌悪の心を起こす者は、衆生を捨ててしまうからである。」
「菩薩において、二つの大罪がある。それは嫌悪と迷妄である。
嫌悪の心にさいなまれたならば、聖者に直接懺悔すべし。
他の重罪を犯した場合や、異性の体に手で触れた場合も、同様に懺悔すべし。
また菩薩にして、五逆の罪、異性に関する罪、出家教団に関する罪などを犯した場合には、35如来の前に向かって、次のように祈るべし。
『私は仏陀に帰依し奉ります。ダルマに帰依し奉ります。サンガに帰依し奉ります。
釈迦牟尼如来に帰依し奉ります。
ヴァジュラプラマルディー如来に帰依し奉ります。
ラトナールシス如来に帰依し奉ります。
ナーゲーシュワララージャ(龍自在王)如来に帰依し奉ります。
ヴィーラセーナ(勇軍)如来に帰依し奉ります。
ヴィーラナンディー(勇喜)如来に帰依し奉ります。
ラトナシュリー(宝吉祥)如来に帰依し奉ります。
ラトナチャンドラプラバ(宝月光)如来に帰依し奉ります。
アモーガダルシー(不空見)如来に帰依し奉ります。
ラトナチャンドラ(宝月)如来に帰依し奉ります。
ニルマラ(無垢)如来に帰依し奉ります。
ヴィマラ(離垢)如来に帰依し奉ります。
シューラダッタ(勇賦与)如来に帰依し奉ります。
ブラフマ如来に帰依し奉ります。
ブラフマダッタ(梵賦与)如来に帰依し奉ります。
ヴァルナ如来に帰依し奉ります。
ヴァルナデーヴァ(水天)如来に帰依し奉ります。
バドラシュリー(賢吉祥)如来に帰依し奉ります。
チャンダナシュリー(栴檀吉祥)如来に帰依し奉ります。
アナンタウジャス(無限威徳)如来に帰依し奉ります。
プラバーサシュリー(光吉祥)如来に帰依し奉ります。
アショーカシュリー(無憂吉祥)如来に帰依し奉ります。
ナーラーヤナ如来に帰依し奉ります。
クスマシュリー(華吉祥)如来に帰依し奉ります。
ブラフマジョーティルヴィクリーディタービジュニャ(神聖光遊戯神通)如来に帰依し奉ります。
パドマジョーティルヴィクリーディタービジュニャ(蓮華光遊戯神通)如来に帰依し奉ります。
ダナシュリー如来に帰依し奉ります。
スムリティシュリー(念吉祥如来)に帰依し奉ります。
スパリキールティタナーマゲーヤシュリー如来に帰依し奉ります。
インドラケートゥドヴァジャラージャ如来に帰依し奉ります。
スヴィクラーンタシュリー(善遊歩吉祥)如来に帰依し奉ります。
ヴィチトラサンクラマ如来に帰依し奉ります。
ヴィクラーンタガーミ(勝遊歩)如来に帰依し奉ります。
サマンターヴァバーサヴューハシュリー(普遍光厳吉祥)如来に帰依し奉ります。
ラトナパドマヴィクラミー(宝蓮華勝遊歩)如来に帰依し奉ります。
ラトナパドマスプラティシュティタシャイレーンドララージャ如来に帰依し奉ります。
このように、現前せる、ないし一切世界の如来・アラハント・最正覚者・仏陀・世尊よ、私を護りたまえ。
私は無始の過去より今生に至るまで、生死輪廻して、悪業を積み重ねてきた。自ら悪業をなし、また他者に教えて、他者が悪業をなすのを見て喜んできた。
このもろもろの悪業を、仏陀よ、真実の恩寵、真実の眼、真実の灯明をもって、あまねく知り、あまねく見てください。私は今そのすべてを包み隠さず懺悔いたします。』
菩薩は35如来の現前においてこのように心をこめて懺悔をし、その思いが如来方に届いたならば、罪は清浄となるだろう。
ここにおいて、もろもろの凡夫や外道は、心に疑念を生じさせるがゆえに、罪を浄化することができない。小乗の修行者も、十分に罪を浄化することはできない。
しかし菩薩の道を歩む者が、心をこめてもろもろの如来の名を呼び、昼夜懺悔し続けるならば、やがて彼は罪から解放され、サマーディを得るのである。」
②対治行
また、たとえば人がいて、不浄物を身に塗り、臭いにおいを発していたとしても、その体を水で洗い、さらにすばらしい塗香を塗るならば、彼は不浄と臭いにおいから解放される。
同様に、悪業をなした者も、懺悔するとともに、多くのさまざまな功徳を積むならば、罪は浄化されるのである。
また、深遠なる経典を読誦することによっても、罪を浄化することができる。
ヴァジュラッチェーディカーには、こう説かれている。
「もし善男子や善女子が、この経典を読誦するならば、人々に軽蔑されるだろう。そしてそれによって、過去世において作った、悪道に落ちる悪業が消滅し、仏陀の覚醒などを得るだろう。」
タターガタコーシャ・スートラには、こう説かれている。
「最悪の殺生とは、父母を殺すことと、解脱者を殺すことである。
最悪の盗みとは、三宝の財を盗むことである。
最悪の邪淫とは、母や解脱した女性を犯すことである。
最悪の嘘とは、自分は如来であると吹聴することである。
最悪の両舌とは、聖者の集団を分裂させる言葉である。
最悪の悪口とは、聖者や賢者への悪口である。
最悪の綺語とは、巧みな言葉で真理を捻じ曲げることである。
最悪の愛著とは、三宝の財を奪いたいと思うことである。
最悪の嫌悪とは、五逆の罪を犯した者にも慈悲の心がないことである。
最悪の邪見解とは以上のような最悪の悪業を肯定するような悪しき見解を起こすことである。
しかし仮に過去においてこのような最悪の悪業を犯していたとしても、もし菩薩が究極の真理を悟るならば、すべての罪は消え去る。
なぜなら、究極の真理においては、自我はなく、人はなく、衆生はなく、魂はなく、何かをなすことも、受けることもない。すべての行為は幻であり、すべての煩悩の本質はダルマターである。
この明瞭なるダルマターに没入することができるならば、すべてはもともと清浄であることを悟り、どこにも悪趣はないと悟る。」
また、トリサマヤラージャには、こう説かれている。
「もし、眼を閉じてもろもろの仏陀や菩薩を観想して百字マントラを八千回唱え、眼を開けて実際に目の前に仏陀や菩薩が現われるのを見たならば、彼の罪は浄化される。
あるいはストゥーパの周りをまわりながら八千回唱え、目の前に経典が現われるのを見たならば、彼の罪は浄化される。」
また、チュンダーダーラニーには、こう説かれている。
「もしマントラを唱え終わって、次のような夢を見るならば、それは罪が浄化される兆しである。
・天女が乳粥を授けてくれる夢。
・太陽や月が空に昇り、炎や水牛や黒い男が、恐れて走り去る夢。
・出家修行者、白い象、白い牛などが出てくる夢。
・すばらしい法話を聞く夢。」
プシュパクータ・ダーラニーには、こう説かれている。
「もし人が、菩提心をもって、一輪の花を如来に供養し、合唱してその名を唱え、あるいは帰依を唱え、疑念を起こさないならば、一千カルパにわたって悪道に落ちる悪業があったとしても、彼は悪道に落ちることはない。」
③制止力
制止力とは、戒律を日々唱えることによって、新たな悪業を積まないようにすることである。
また、クシティガルバ・スートラ(地蔵経)には、こう説かれている。
「もし偉大なる菩薩が、殺生・暴力・他者を害することを離れ、一切の衆生を激痛から救い、恐怖から救い、悲嘆や悩みから救うならば、その善の果報によって、過去に積んだ悪業から救済される。
また、同様に偉大なる菩薩が、盗みを離れ、一切の衆生を激痛・恐怖・悩みから救い、心の乱れから救い、自らの所有においては足るを知って満足し、常に非法なる利を取ることを願わないならば、その善の果報によって、過去に積んだ悪業から救済される。」
同様にして、十悪を離れ、衆生を救うならば、過去に積んだ悪業から救済されるのである。
逆に、十悪を行なうならば、過去に積んだ善業は壊れてしまう。
月燈経には、こう説かれている。
「一切の悪業の滅尽は、悪心より離れることによりなる。
ゆえに、他人から嫌悪されても、罵倒されても、耐えるべし。」
◎帰依力
スーカリカーヴァダーナには、こう説かれている。
「よく仏陀に帰依する者は、悪道に落ちることはなく、死後、天に向かうことを得る。」
また、マイトライヤヴィモークシャには、こう説かれている。
「もし人が、燈明を持って暗室を照らすならば、千年の闇も瞬時に破壊される。
この菩提心を起こすことも同様である。一人の衆生の心の無明の暗室に菩提心の燈明が灯ったならば、無始の過去からのカルマと煩悩の障害の闇は破壊され、叡智の光明が発されるのである。」
このようにして、多くの苦しみを生じさせる悪しき破戒が発生するのを絶えず防護し、カルマの障害の繋縛を断ち、煩悩の浄化に励むべし。
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