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ガウリー・マーの生涯(3)

 彼女は叔父のチャンディに、インドの聖地についての話、特にヒマーラヤ地方の人たちのことを聞くのが大好きでした。これは彼女の想像力を掻き立て、彼女自身、それらの場所へ旅行することを切望していました。

 子供であるにもかかわらず、ガウリー・マーは、恐れ知らずで妥協しませんでした。また、どんな外的な苦難も、彼女が正しいと思った決心から少しも彼女を逸脱させることはできませんでした。
 彼女は最初に、彼女の学術的な才能が認められ、金メダルを与えられた南カルカッタのキリスト教の伝道者の学校に送られました。
 しかし、彼女は学校を去りました。なぜなら、彼女は宣教師たちの偏狭な宗教観を容認することができなかったからでした。他の少女たちもガウリー・マーの前例に続き、彼女たち全員がヒンドゥー教の学校に入学しました。

 ガウリー・マーは鋭い知性と優れた記憶力を持っていました。10代のはじめの頃、彼女はサンスクリットの文法を学び、多くの神と女神への賛歌を記憶し、同様に、ギーター、チャンディ、ラーマーヤナ、マハーバーラタの一部を暗記していました。

 ガウリー・マーがイニシエーションを受けてからしばらく後、ヴリンダーヴァン出身の出家尼僧が彼女の家の客として訪れました。
 この尼僧は、彼女が毎日礼拝していたダーモーダル・シーラというヴィシュヌの石像を持っていました。

 旅立つとき、尼僧は彼女の最愛のヴィシュヌをガウリー・マーに与えて、こう言いました。

「この神の像は私のすべてのすべてで、生きているのよ。でも彼はあなたと恋に落ちたので、彼をあなたにさし上げるわ。
 わが子よ、彼を礼拝しなさい。それはあなたのためになるでしょう。」

 ガウリー・マーはこの貴重な贈り物を受け取り、自分の夫としてこの主の像を見なしました。これ以後、彼女の人生の残りの間ずっと、彼女はどこへ行くときも主を持ち運び、主に奉仕しました。

 俗世間に対する彼女の無執着に気づいた彼女の親戚は、彼女が10歳になったときに、結婚の手配を試みました。
 しかしガウリー・マーは、はっきりとその考えを拒絶して言いました。

「私は、絶対に死なない人と結婚します。」

 彼女は彼女の最愛の夫、主ヴィシュヌで心満たされていたのでした。

 しかしながら、彼女が13歳になったとき、彼女の意志に反して花婿が選ばれ、結婚の日取りが決められてしまいました。ガウリー・マーは極めて大きなショックを受けました。
 ある日、彼女はとても憤慨して、結婚式のためにまとめられたものを捨て始めました。その後、彼女はヴィシュヌの像とチャイタニヤの写真を持って部屋に入り、部屋の中から鍵をかけました。親戚の多くが彼女を慰め、結婚することを説得しようとしましたが、彼女は譲りませんでした。

 その夜、彼女の母親は、彼女にドアを開けて中に入れてくれるように彼女に頼みました。ガウリー・マーは母親の言うことに従いました。
 娘の苦痛や苦悩を見て、ギリバラは言いました。

「わが子よ、あなたは俗世間への本当の無執着を持っているから、私はあなたが結婚することを強制すべきではないわね。
 私は今をもって、あなたを神に捧げるわ。主があなたをすべての危険からお護りくださいますように。」

 ギリバラは、夫と他の親戚たちが彼女を叩きさえするかもしれないほど彼女を怒っていたのを知っていたので、ひそかに裏口を通り、隣の家にガウリー・マーを送り出しました。そして親戚たちの怒りが落ち着くまで、ガウリー・マーをそこに隠しました。このようにして、神は結婚の束縛から彼の信者をお救いになったのでした。

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