神への恋煩い
神で心がいっぱいで、自分のエゴのことはどうでもよくなる。
これは理想論ではなくて、本当にそうなれるし、特にバクティの道では、そうならなければならない。
これは、「神は素晴らしい」と哲学的に思うというよりも、
神に恋をするような感覚だ。
その切ない思いによって、
神しか考えられないという状況によって、
他の、たとえば自分が他人にどう思われるかとか、これが欲しいとか、あれは嫌だとか、そういったエゴは、どうでもよくなり、自然に脱落していく。
それどころではなくなるのだ笑。
しかし不思議なことに、正しいプロセスでこの状態に至ると、
何の執着もないのだが、目の前のなすべきことには、淡々と全力で立ち向かえる。
こだわりがない分、肩の力が抜け、かつ全力でできるのだ。
全力でなすべきことをやりつつ、その目はいつも遙か神を見ている。
神への恋煩いは、人間にとって必要な病だ。
それがなければ、生きてはいけない。
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