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クンサン・ラマの教え 第一部 第六章「師にいかに従うか」(4)

 帰依のよりどころと功徳を積む機会として、師ほどの大きな福田はない。
 生起次第におけるイダムの修行において、瞑想するイダムには様々な形態があるが、その本質は自分の根本グルに他ならない。このことを理解すれば、祝福を素早く得ることができる。究竟次第における智慧の修行のすべての方法は、師への信と祝福の度合いにより、自分の中に師の完成した智慧を再びよみがえらせることである。それゆえに、生起次第と究竟次第を含むあらゆる段階の修行において成就すべきことの本質は、師自身を体現することである。よって、顕教と密教のすべての経典は、師をブッダその人であると説いている。

 なぜ師が帰依と功徳の福田であるのか?
 なぜなら、師の悟りを成就するという内と外のヨーガが、
 生起次第と究竟次第の修行で成就するべきものの本質を含んでいるからだ。
 それゆえに、顕教と密教の経典では、師はブッダそのものだと説いている。

 善き師の智慧の心はすべてのブッダと同じであるが、不浄な弟子を導くために普通の人間と同じ姿で現われる。師の言うことには何でも従い、師と心を一体とするようにしなければならない。
 師が生きている間は師を尊敬せず従うこともなかったのに、師が亡くなってから、師の肖像に瞑想するふりをする人もいる。あるいは、師以外のところに瞑想の本質を探したり、深遠な思想を探したりして、師への帰依によってこそ解脱と完成の特性を受け取れるのだということを信じない人もいる。このような人たちは、「修行と異なることを修行する」と呼ばれている。
 バルドの状態において、自分の師に会い、導かれることができるのは、自分の無限の信と師の慈悲の力によって既にきずなが作られているからである。よって、もし弟子に信がなければ、師がどれほど完璧であっても、バルドの状態であなたを導くことはできない。

 師の肖像画を持ち、瞑想するが、
 師が存命中には尊敬しない愚か者が多い。
 本質の状態を瞑想しているというが、師の心を知らない。
 修行と異なる修行をすることは、なんという苦しみだろうか。
 信もないのにバルドの状態で師に出会うのは、あり得ないことである。

 最初に師を注意深く吟味しなさい。そしてひとたび師に従うと決めたならば、師を信じ、清らかな認識によって師を理解することを学び、師の行ないをすべて善きものと理解しなさい。師の欠点を探すことは、信じられないほどの悪しき結果をもたらすことになる。
 しかし、師を吟味するといっても、わたしたちのような普通の人間がどれほど慎重に調べたとしても、本当の資質を隠している聖者の特別な資質を明らかにすることはできない。一方、偽物は聖者のように装うことがとても上手である。ゆえに注意しなさい。 
 最も最高なのは、前世からのきずなで結ばれている師である。そのような師に出会ったならば、何も吟味したり調べたりする必要はない。会うだけで、あるいは名前を聞くだけでも、一瞬で強い信が呼び起こされて、身体の一本一本の毛が逆立つ。
 ロントン・ラガはミラレーパに、「前世からのグルが最高のグルであり、お前にとってそれはマルパという名の翻訳者の王である。マルパは南の地方のドウォ・ルンにいらっしゃる。会いに行きなさい」と告げた。
 マルパという名前を聞いただけで、ミラレーパは心の底から深い信が沸き上がり、「マルパにお会いして、命を懸けても弟子にしてもらおう」と考えた。マルパと初めて会ったとき、マルパは畑を耕していた。ミラレーパは最初それがマルパであるとわからなかったが、頭が真っ白になり、そこに立ち尽くした。
 一般的に、自分の認識が清らかであるか不浄であるか、そして過去の行ないの力によって、真の師と出会えるかどうかが決まる。過去の行ないによって適切な条件が整っていなければ、素晴らしい師に出会える幸運はもたらされない。さらに言えば、認識が不浄であれば、たとえ仏陀に会ってもその素晴らしさを理解することはできない。
 真の師に出会い、実際に師に従うようになったならば、暑さ、寒さ、飢え、渇きなどのあらゆる困難をものともせず、すべて師に従い、信と尊敬を持って師に祈り、なすことすべてに師の助言を求めなさい。何を指示されてもその教えを修行し、全幅の信頼を置きなさい。
 師の悟りと行ないの真似をする最終段階においては、師の行ないをそのまま真似しなさい。「あらゆる行ないは真似である。最上の行ないを真似すれば、最上の行ないが可能になる」という格言のとおりである。ダルマの修行は、過去の仏陀と菩薩を真似することであるといわれる。師のようになるためには、師の心と行ないを真似る必要がある。弟子は、師という型から作られたツァツァのようである。
 師を注意深く吟味した後、師に従い、最後に師の心と行ないを真似する者は、何が起ころうとも、常に本物の道を歩む。

 最初、師を注意深く吟味し、
 次に、師によく従い、
 最後に、師の心と行ないを真似る。
 そのような弟子は、真の道にいる。

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