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「好ましいものへの集中」

◎好ましいものへの集中

【本文】
『ヤターヴィマタディヤーナードヴァー

あるいは、何であれ、自分にとって好ましいものを瞑想することによっても、心は不動になる。 』

 はい。これはね、みなさん、例えばマハームドラーとかゾクチェンとか、あるいは原始仏教でもいいけど、いろんな寂静の瞑想のテキストを読むと、例えば「はい、じゃあ瞑想しましょう」と。それは例えば自分の呼吸に集中してくださいと。あるいは呼吸じゃなくて目の前に白い玉をイメージしてもいいです。それに集中しましょうと。あるいはゾクチェンだったら、チベット文字の「ア」の字をイメージしてそれに集中してくださいとか、あるいは自分の師匠の姿をイメージして集中してくださいとか、いろいろ書いてあって、一番最後に――でも自分の好きなものどれでもいいです――って書いてある(笑)。
 これがまさにラージャ・ヨーガなんです。ラージャ・ヨーガっていうのは結局、対象というよりも集中力が重要なんです。今日やったようなチャクラへの集中もそうだけども、もう何でもいいんです。集中力がある一定ラインを超えたときに、われわれはサマーディに入るんです。 だから何でもいいんだね。よくヨーガでやるのはトラータカっていって、壁に画鋲を刺したり、あるいはろうそくの炎に対して集中したりするわけだけど。ろうそくの炎がどうこうっていうよりは、それによって生じる集中力の極限状態――これがサマーディなんです。だから、いろんなこと言ってるけども、ヨーガの瞑想――仏教の瞑想もそうなんだけど、結局は集中力勝負なんです。集中力がなかったら何もできない。どんなに素晴らしい教えを学んでも、どんなにイメージ力がすごくても、集中力がなかったら絶対にサマーディに入れないんです。だから、その集中力のためには好きなものだったら何でもいいですよと。好きなものだったらっていうのはつまり、嫌いなものだったら集中できない。ね。 あるいは、もちろん邪悪なものは駄目だよ。何でもいいのかと思って、じゃあ悪魔にでも集中するかとかいったら、悪魔のエネルギーが入ってきちゃうから(笑)。あるいは自分のイメージ的にけがれているものとか、嫌いなものとかに集中したら、悪い思いが出てきてあまり集中できないから。だから集中しやすくするために、自分の好きなものを選ぶと。これがこの一連の最後に書かれているわけですね。

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