yoga school kailas

解説「自己の明け渡しのヨーガ」(2)

 「あなたのものは何もなく、すべては神のものなのだと思いなさい。これが神への明け渡しである。」

 はい。つまりまあ、このあとにも出てきますが、もちろん持ち物も含め、自分自身も含め、この世にわたしのものと言えるものは何もないと。これはもちろん仏教っていうかお釈迦様もそういうことを説くわけだけど。仏教ではただ、そこで終わるんですけどね。この世にわたしのものっていえるものは何もありませんよと。バクティではもう一歩進んで、すべては神のものであると。ただ「わたしのものじゃない」だけじゃなくて、神のものであると。ただわたしはそれを、なんていうかな、神に一時的に与えられてるだけであると。
 例えばここに大金持ちがいたとしても、それは、神が一時的にそのお金っていうものを預けてるだけだと。つまり自分のものじゃないんだと、そういう感覚ね。例えばそれは自分のいいことも悪いこともですよ。例えば自分が美しさや、才能や、あるいは人からの良い評判等いろんなものを持ってたとしても、それは全部神から預けられたものですからね。
 良い悪いっていうのもさ、今生のカルマによる一つの観念的な見方にすぎないからさ。われわれが良いと考えるものも悪いと考えるものも、われわれに今与えられてるものはすべて神から預けられたものであると。すべては神のものである。そしてそれは究極的には自己、つまり自分自身さえそうなんだと。
 だからまあ、バクティではダーシャっていう――まず基本的にダーシャ・バクティっていう言い方をするわけだけど。ダーシャっていうのは「しもべ」、あるいは「召使い」っていう意味ですけど。ただ訳はいろいろあってさ、もうちょっと強烈な訳だと「奴隷」っていう意味でもあるんだね。つまり完全に自分は神の奴隷のような存在だと。奴隷っていうのはつまり、自分の人生、あるいは、そうだな、生き方であるとか、あるいはこの体さえもわたしのものじゃないんだと。もう売ってしまったみたいな感じですね。あの「魂捧ぐ――」の歌にもそういう一節があるように、もう自分は、市場で自分を売ってしまったんだと。それでドゥルガーの御名を買ったんだ、みたいな素晴らしい歌詞があるけども。完全に自分は神に自分を売り渡した、あるいは明け渡したっていう感覚ですね。

share

  • Twitterにシェアする
  • Facebookにシェアする
  • Lineにシェアする