要約「シクシャー・サムッチャヤ」(27)「慢心の調伏」
◎慢心の調伏
「利得や供養や名声を得ても、菩薩は常に高慢さから遠く離れるべし。
清浄の法をもって、迷妄の闇を捨てるべし。」
宝積経には、こう説かれている。
「もし菩薩が次の四つの悪法を具足するならば、すでにある善法を増大させることはできず、未来に生じるはずだった善法は滅してしまう。
①世間において慢心に深く陥り、慢心の言葉を語る。
②利徳と供養を受けることに耽溺する。
③他の菩薩を称賛することを嫌う。
④まだ読んだことのない経典を誹謗する。」
ただ名声や利得や供養を得ることを追求して、高慢となり、お互いを誹謗し合う者たちは、不善の根本を増大させ、善は減少し、美しさも安穏もみな減少する。
宝雲経には、こう説かれている。
「菩薩は衆生から、スメール山ほどの無量の素晴らしい宝物などの布施を受け取る。なぜなら、菩薩はこう考えるからである。
『衆生は物惜しみの心や貪りの心によって、他者の所有物に嫉妬し、自己の所有物を惜しんで、常に闘争する。こうして彼らは生死の海に溺れていく。
私は彼らを救い、安楽ならしめたい。ゆえに彼らの布施を受けよう。』と。
しかし菩薩は布施を受けても、それに対して自己の所有物であるという思いを起こさず、また愛著の心を起こさず、慢心を起こさず、ただ三宝に供養し、また転じて一切の衆生に布施をする。そして衆生に歓喜を生じさせるのである。」
「菩薩は、次の十の事柄をもって、慢心を調伏すべし。
①家を捨てて出家し、世間においては死んだ者であると考えることによって、慢心を調伏する。
②世俗の装いをせず、ぼろきれを縫い合わせた衣を着ることによって、慢心を調伏する。
③頭髪を剃り、手に鉢を持ち、乞食をして生きることによって、慢心を調伏する。
④自己をシュードラ(奴隷階級)のような者であると思い、乞食をして生きることによって、慢心を調伏する。
⑤乞食によって生活することによって、他者によって生かされていると考え、慢心を調伏する。
⑥自分を誹謗する者からも食を乞うことによって、慢心を調伏する。
⑦師を尊重し供養することによって、慢心を調伏する。
⑧素晴らしい他の修行者を見て歓喜することによって、慢心を調伏する。
⑨まだ得ていない真理を得たいと常に願うことによって、慢心を調伏する。
⑩嫌悪や怒りが強い衆生の中において、忍辱の修行をすることによって、慢心を調伏する。」
また、ローコーッタラパリヴァルタ(出世間品)には、こう説かれている。
「菩薩には次の十の魔事がある。
①正しい行ないをなし、正しい道を歩いている師、父母、出家修行者、ブラーフマナなどに対して、尊重を起こさない。これを魔事という。
②殊勝にして広大なる法を説く師に対して尊重を起こさず、師の教えをよく聞こうとしない。これを魔事という。
③師が衆生に偉大なる法を説いても、師を賛美せず、浄信を起こさない。これを魔事という。
④慢心を起こし、自らの見解にとらわれ、他者を軽蔑し、自己の短所を見ようとしない。これを魔事という。
⑤慢心を起こし、他の修行者が有する徳が皆に知られないようにと願い、自己に匹敵する者はいないと考え、称賛すべき者を称賛しない。これを魔事という。
⑥その教えが真のブッダの教えであると知りながら、それを説いた人を嫌うが故に、その教えも嫌い、教えを誹謗する。これを魔事という。
⑦自ら高座を求め、我こそは道や法を行ずる者なりと吹聴し、悪しきことに親しみ、偉大な徳ある修行者などが来ても、立ちあがって歓迎しない。これを魔事という。
⑧慎みがなく、顰蹙を買うことを行ない、悪しき言葉を語り、悪しき思いを持つ。これを魔事という。
⑨慢心なるが故に、徳ある者に親しまず、恭敬せず、また、何が善で何が不善か、何をなすべきで何をなさざるべきかをたずねない。また、どのようにして真の幸福を得るのかをたずねない。これを魔事という。
⑩慢心なるが故に、たとえブッダに会ったとしてもブッダから遠く離れ、善根を壊し、新たに善根を起こすことなく、説くべきでないことを説き、多くの闘争を起こし、大いなる邪悪に堕落する。菩提心を得られず、信・精進・正念・サマーディ・智慧などの聖なる宝も得られない。百千カルパを経てもブッダに会えず、ダルマを聴けない。これを魔事という。
菩薩はこれら十の魔事を捨て、叡智の行為を行なうべし。
その叡智の行為とは、一切の衆生を救済することである。」
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