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パドマサンバヴァの秘密の教え(109)「悟りへの見解の保持」

 そこで王はパドマサンバヴァに尋ねた。

「偉大な師よ、衆生がブッダフッドという果を達成しようとするとき、その因として、まず『悟りへの見解の保持』が著しい重要性を持つといいます。この『悟りへの見解の保持』とは、どういう意味なのでしょうか?」

 師はこうお答えになった。

「覚醒した心の本質である菩提心が、すべての見解の頂点である。
 十億宇宙、十の方向のすべての偉大なスガタ、そして三界のすべての衆生は覚醒した心の本質である菩提心に含まれるという意味で、一つの性質を帯びている。
 ここで言う『心』とは、未だ生まれざるものから生じる多様性のことである。

 あなたは次のように尋ねるかもしれない。『では、仏陀と衆生の違いは何なのでしょうか』と。それは、心を理解しているか、していないかの違いに過ぎない。
 仏陀の覚醒した状態の本質は、あなたの内にあるのだが、あなたはそれを認識していない。六道輪廻に迷い込むことによって、その心を認識していない。
 
 続いてあなたはこう尋ねるかもしれない。『心を理解するための道とは何か』と。そのためには、あなたの師の口頭での教えが必要である。

 ここでいう『心』とは、考え、認知するものである。間違いなくそこには経験をする何かがあるのである。この心を外に捜し求めてはならない。内を見よ。心が自らを探すままにさせよ。心の本質が如何なるものであるかについて確信に到達せよ。
 まず、心とはどこから生ずるのか。今、それはどこにあるのか。最後に、それがどこへ行くのかを観察せよ。
 あなたの心が自らを観察するとき、それはそれがどこから生じたか、どこにあるのか、どこに行くのか、その何らかの場所を見つけることはない。『こういうものである』という説明は存在しない。『心』とは、外また内にある何かなしで発見されるべきものである。
 それは、それを見る誰かはいない。それは見るという行為ではないのである。
 それは中心や端などのない、偉大な本来の覚醒した状態として経験され、原初の空であり、自由な、素晴らしい、すべてに行き渡っているものなのである。
 本来の覚醒した状態とは、本源的であり、それ自らで存在するものである。
 それは今作られるものではなく、原初からあなたの内に存在するものである。
 見解とは、ただそれを認識することであると固く決心しなさい。
 ここで『見解の保持』というのは、空間のように、心とは最初から自然に存在していると理解することである。
 太陽のように、それは如何なる無智の暗闇へと向かう原理からも自由である。
 蓮の花のように、それは過ちにより汚されていない。
 黄金のように、それは自らの本質を変えることはない。
 海のように、それは動じない。
 川のように、それはやむことはない。
 スメール山のように、それは完全に不変である。
 一度あなたが心とはこのようであると悟ったならば、そしてそれを不動にしたならば、それが『悟りへの見解を保持する』と呼ばれるものである。

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