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解説「八十四人の成就者たち」第一回(2)

【本文】

「ルーイーパ」

 グル・ルーイーパとは、彼が魚の腸を食べたことによる命名です。

 一人の王がいました。王国は財宝の神クベーラに負けないほど裕福でした。王には、宝石、真珠、金、銀などで飾られた王宮があっただけではなく、3人の息子がいました。
 この王が死んで間もなくして、占星術師にどの息子が王国を継承すべきかを相談しました。その占星術師は、
「二番目の御子息が王国を継承すれば、領土は強固となり、家来や領民たちが幸福になるでしょう。」
と発表しました。  
 そのため、父の王国を次男に継承させることになりました。
 本人は望んでいなかったにも関わらず、兄と弟は、家来たち全員と一緒になって、彼を王位継承者として即位させました。彼はそれを逃れようと試みましたが、兄弟と領民たちは彼をとらえ、金という鎖で拘束しました。
 そこで王は、護衛と家臣にわいろとして金と銀を配りました。夜、つぎはぎの衣をまとい、ラーマパーラ王の地であるラーメーシュワラへと赴きました。
 
 そこで彼はシルクで作られた床座を放棄し、黒い羊の皮の床座に座りました。また彼は王の寝室を放棄し、灰の中で眠りました。
 王は見た目が麗しかったので、誰もが食べ物と飲み物を分けてくれ、食事に事欠くことはありませんでした。
 その後、彼がブッダガヤーに行くと、そこでダーキニーたちが彼の面倒を見、教えを授けてくれました。
 次に、王の住まいであるシャーリプトラに行き、すべての人々から施された食物を食べ、火葬場に住みました。

 ある日、市場に向かい、酒売り女のところへ行きました。その酒売り女の女将は、在俗のダーキニーでした。ダーキニーは王を見てつぶやきました。
「この者は四つのチャクラの汚れなどすべてが浄められているが、心臓にはまだ米粒一つほどの『階級への分別』のけがれがある。」

 ダーキニーはつぼの中に腐った食物を入れて、彼に渡しました。王がそれを投げ捨てたので、ダーキニーは怒りました。
「食物の善し悪しの分別を捨てないならば、どうしてあなたは教えにふさわしかろうか!」

 分別および外面的な相への執着は、悟りへの妨げになることを悟り、王はそれらを振り棄てました。彼は、漁師がガンジス河で捨てた魚のはらわたを取り、12年に及ぶ修行期間の間は、それを食べました。
 魚市場の女性たちが、魚の内臓を食べている彼を見て、ルーイ―パ(古くなった魚のはらわた)と呼んだのをきっかけに、彼はいたるところでルーイパという名で知られました。そして、その名のもとにシッディ(成就)を得ました。

 彼の伝記の残りは、ダーリカパと、ディンカパの伝記のときにも登場します。

 大成就者(マハ-シッダ)ルーイーパの伝記、終わり。

 はい。もう一つ終わってしまいましたけど、まあ、こういう感じで簡単に書いてある。
 はい。まず一人目がルーイーパ。で、このルーイーパは、読んで分かると思うけど、まあそうですね、天才的な修行者ですね。つまり、もう一回簡単に言うとね、王位を継がされそうになるわけだけど、それは、なんていうかな、自分の望むところではない――つまりもともと素養としてね、もうほんとに修行の道を歩くのが決まっていた。よってそれを、まあ脱ぎ捨て――振り捨てて、修行者になったと。
 で、この人はつまり、特に誰に教わるのでもなく、かなりのところまで修行によって達成してるわけだね。一人で、羊の皮の上に座り、灰の中で眠り――この人は火葬場に住んでたっていわれるけども、火葬場で修行しながら、どんどん自分を浄化してた。
 で、そこにダーキニーが現われる。このダーキニーっていうのは、まあこれはあの『サラハ』の詩のね、勉強会のときにも出てきましたが、よく密教の話にこのダーキニーっていうのが現われます。ダーキニーっていうのはこれは女性ですけども、偉大な仏陀あるいは菩薩の化身としての女性なんだね。で、これは特別な使命を持って、例えば修行者の前に現われて、修行者を導いたりする存在があるんだね。
 で、このルーイーパもおそらく前生からの素晴らしい素養によって、誰にも教わらずにすごい段階にまで行ったんだけど、やっぱり最後の一つを超えることができていなかった。で、そこに運命的にこの、まあ酒屋の女将の姿をしたダーキニーが現われるわけだね。
 まあだからこれを見ても分かるけど、ダーキニーとかあるいは偉大な師っていうのは、どこにいるか分からない(笑)。どんな姿をしてどこにいるか分かんないっていうのが面白いところだね。だから密教行者っていうのはだいたいこういうなんか、なんていうかな、パターンが非常に多いんだね。つまりお寺にいてすごいこう、日本のお坊さんみたいに、もうきらびやかな袈裟をつけて「はい、この人は何とか寺の何とか大僧長です」とかそんな分かりやすい世界じゃないんだね。そこら辺にいる床屋のおじさんが大成就者なのかもしれない(笑)。
 わたしの好きな話で、欧米にチベット仏教を広めてるある聖者のね、子供のころの体験談として、その聖者のお父さんの友達の、パッとしない普通のおじさんがいたんですね。で、そのパッとしないおじさんとその聖者のお父さんっていうのはまあ普通に、なんていうか近所の知り合いとしていつも普通に接してたわけだけど。で、その何の変哲もないおじさんが、あるときみんなにいきなり言ったわけです。「わたしはもうすぐ死にます」と。で、「死んだら自分の遺体を誰も来ないところに安置して、一週間誰も入らないでください」と。
 で、これはみんな驚いた。なぜかというと、これは大聖者がよくそういうことを言うんだね。なんでかっていうと、ある種の修行を達成した聖者っていうのは、身体が虹の身体になってるっていわれてる。虹の身体っていうのは、見た目は普通の肉体なんだけど、その粒子みたいなものが全然普通の人とは違くなっている。だからその人が死ぬと、そのすべてがこう崩壊して、消えてしまうっていうんだね。でもそれは誰かが見てるとそれは起きないかもしれない。まあそれはおそらく人の、なんていうかな、観念の世界によって起きなくなっちゃうんだろうけど。だから誰も見てない所に置かなきゃいけない。誰も見てない所に遺体を置いておくと、一週間ほどですべて消えると。で、それがなんていうか、あるタイプの大成就者のしるしなんだね。だからある大成就者がいて死んで一週間経って肉体が消えてたら、もうそれはもうとてつもない大成就者。
 現代ではそういうことができるかどうかは分かんない。これは前も言ったけど、現代はちょっとけがれた時代だから――でもこれも、そうですね、比較的近代の話として伝わってるんだけど、ある大成就者が死ぬときに、同じようにそういうことを言ったわけです。「わたしはもうすぐ死ぬ」と。で、「その間、死んでから一週間は誰も遺体に近づくな」と。「しかし今生、今の時代は非常にけがれてるから、完全に消えるかどうか分からない」と言って死んだんですね。で、弟子たちが一週間経って開けてみたら、これくらいに縮んでたって(笑)。――その方がすごいじゃん!って(笑)。

(一同笑)

 なんかさ、消えたら「どっか持っていったのかな?」って疑う人もいるかもしれないけど(笑)、消えずにすごく小さくなってた(笑)。インパクトとしてはその方がすごいと思うんだけど(笑)。
 だから現代ではなかなか難しいかもしれないんだけど、もともとそういう話がいろいろあるんだね。で、そういう話をチベットの人たちはみんな知っていて、で、そこらのおやじがいきなり「死んだら一週間入るな」とか言ったからみんなびっくりして。で、言われたとおりにして一週間経ったら、ほんとに消えていた。で、そこでそれを見に行ったその聖者のお父さんがね、子供のころのその聖者のところに帰ってきて、泣いてたんだね。つまりなんで泣いてたかっていうと、「わたしは、彼が――つまり彼、あのパッとしない男と知り合いだったのに、彼があんな偉大な成就者だったとは知らなかった」と。あんな成就者だと知っていたら、教えを乞うていたと。しかしわたしはあいつはただのしがない男だって見くびってて、彼が聖者だなんて露ほども思わなかったと。で、すごい後悔したっていう話があるんだけど。
 だから密教行者っていうのは結構そういうパターンがある。で、このダーキニーも同じだね。表面的にはただの酒屋の女将であると。でも実際は偉大なダーキニーだったんですね。ただまあ縁があったから、縁によってこのルーイーパと巡り会って、で、ルーイーパの欠点を見抜いた。つまり、この男はもうほとんど浄化されていると。しかし唯一、階級へのとらわれがあると。
 これは、なんていうかな、われわれには想像つかないかもしれないけど、インド人の多くが持ってる根本的なけがれなんだね。これはだから、そういうパターンがこの作品にもよく出てくる。つまり階級とか、あるいはそうですね、もっというと人種差別的な観念って強いんだね。インドだけじゃなくて欧米もそうかもしれない。つまり白人至上主義的なね、意識をいまだに持ってる白人の人とかもいっぱいいる。日本人ってあまりそういう歴史がないから、あまりそういう、なんていうかな、階級とか人種での差別とかっていうのはあんまりないかもしれない。まあ侍の時代とかはね、侍が百姓とか商人をバカにするとか、そういうのはあったかもしれないけど、まあ基本的にあんまり日本はそういうのが少ないかもしれない。でもその欧米とかあるいはインドとか――インドもね、実際は肌の色とかの人種によって、階級制度が設けられてるわけだからね。でもそれはもちろん、本質的な何か意味があるわけではない。しかしインド人に生まれたら、もう生まれたときから階級の絶対性みたいなのが根付かせられる。特にこの人は王様だったから、なんていうかな、生まれたときから根付かされてる、自分は高貴な存在であるっていう、本質的には智慧とは全く関係のないそういうプライドを持ってたわけだね。で、それをこのダーキニーが、腐ったものを差し出すっていうことで、まあヒントを与えたわけだね。「あなた、そこを崩さないと悟れませんよ」と。で、ルーイーパはそれを、もともと素質があったから、それによって自分のその欠点に気付いた。で、彼が取ったスタイルは、魚のはらわたを食うと。
 あのね、この物語のシリーズっていうのは、注意して見なきゃいけないのは、これはルーイーパのスタイルなんです。つまり何を言いたいかっていうと、真似する必要はないです。つまりわれわれも魚のはらわた食えばいいのかと(笑)。ね。もともと内臓食べるのが好きな人は喜んで食べるかもしれないけど、そういうことじゃない(笑)。つまり魚のはらわた食えば悟りますよっていう話じゃない、これは。それは分かるよね、みんなね。つまりこの人にとっては、魚のはらわたを食うっていうことは、大変な、プライドが傷つくことだし、あるいは分別、つまり「そんなことはもうあり得ない」みたいなことだったわけだね。よってこの人にとってはそれが有効だったっていうだけなんだね。
 だからそれは智慧を持って――これさ、例えばこの間勉強した、『心の訓練』のときに出てきた「間違った極端さを捨てなさい」っていう教えがあったよね。あれっていうのはまさにそういうことなんです。間違った極端さっていうのは、例えばこの教えを読んで、「おお、そうか」と。「先生、じゃあわたし明日から魚の内臓だけ食います」――これは間違った極端さ。つまりなんの意味もない、それは。それをやったとしてもね。これはだからあくまでもこのルーイーパの場合はそうだったって考えてください。はい。
 で、そしてそれによって偉大なる成就ね、シッディを得ましたと。はい。
 これは非常に簡単に書かれてます。実際はこのルーイーパっていう人はもっともっといろんなことを乗り越えたりとか、いろんな修行したりとかあったんだろうけど、まあその辺は端折ってある感じですね。

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