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今日は、ラーマクリシュナの在家の高弟の一人で「ラーマクリシュナの福音(シュリー・シュリー・ラーマクリシュナ・コタムリト)」の作者である「M」ことマヘンドラナート・グプタのお誕生日です。

「彼(M)は、グルと神(イシュタ)とは一つであると考えていた。グルはイシュタであり、イシュタはグルであり、両者に違いはない、と。タクルと話をする中で、タクルのことを考え、タクルの言葉を理解するうちに、彼は外見上はマヘンドラナート・グプタであったが、内面的には全くシュリー・ラーマクリシュナそのものであった。
 彼は自分の個性や自我を放棄して、ラーマクリシュナの作った鋳型にすべてを溶かし込むように努めた。彼にはその他に何の思想も、個人の独自な考えと呼べるようなものも持たなかった。彼にはタクルの教え以外のものは全くなく、また、独自の主張もなかった。彼の心は、常にラーマクリシュナで満たされていた。あたかも、人生の目標はラーマクリシュナの影となって働くことであるというふうであった。
 したがって私は、彼ほど個性や自己主張を捨てて自分の人生を師にささげた人はいない、と断言することができる。タクルの教え、タクルの言葉、タクルに関する会話こそ、神に思いを集中するための、すべてのすべてだった。もちろん彼が世俗の義務を果たすときや、学校で生徒に教えるときなどは個性を表に出すことはあった。このようなことでさえ、ラーマクリシュナによってかたちづくられた心と態度が反映しているのは明らかであった。というわけで、”M”は実は外見はマヘンドラナート・グプタであるが、中身はラーマクリシュナそのものであったといえよう。」

――マヘンドラナート・ダッタ(ヴィヴェーカーナンダの弟)


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