2-2:究竟次第
2-2:究竟次第
究竟次第の修習には三つがある。
①:土台
②:道を進む次第
③:結果を現前にするあり方
①:土台
その第一番目の「土台」にはさらに二つがある。
1:心のあり方
2:身体のあり方
「心のあり方」を説くにあたって、その対象となる身体の要点を理解するために、「身体のあり方」が示されるのである。
1:心のあり方
「ヘーヴァジュラ・タントラ」の中に、次のように説かれている。
「本質として色・形がなければ、見るものもない
音がなければ聞くものもない
匂いがなければかぐものもない
味がなければ味わうものもない
感触がなければ触れるものもない
心がなければ心所もない」
「根と境と識の相を知ることと
ヨーギニーたちを理解するために、十八界のものとして説く。
自性は本来不生であり、虚でもなく真理でもないというそのごとく
すべては水に映った月のようであると、ヨーギニーによって理解しなさい。」
以上の中で、「心」というのは、識蘊と意処を示す。「心所」というのは、受と想と行の三つの蘊を示す。それによって、意の対象である法を、無自性であると示している。
また、「見るもの」等の言葉によって、色・形を見たり音を聞いたりする主体である人や我等も示しているから、要するに人と法は無我であるという二無我を示している。
つまり、あらゆる自我と、あらゆる法には、自性として成立する本質は無いということである。
マイトリーパが著された「真実十」の中に、
「真如を知らんと欲する者は、有相でもなく無相でもなく」
と、あるがままなる真如を知ろうとする者は、有相と無相のどちらの教義も取るべきではないと説いている。
また、「虚でもなく真理でもない」云々という意味は、「六十頌如理論」の中に、
「あるものによっている本質は、水に映った月のように、実在でも非実在でもないと主張する彼らは、誤った見解に心を奪われることはない。」
と説かれているように知るべきである。
すなわち、人と法の本質は、それぞれの原因と条件によって生じている。
そして同時に、原因と条件によって生じるが故に、そこに真実と実在は無いのである。
「金剛簍」の中に、
「我執を斥けるために、空であるということを勝者たちは説かれた。」
とあるように、人我と法我の二つの我執をしりぞけるために、ブッダによって空性の見解が説かれたのである。
究極の意味としてはすべては空なのであるが、とはいえ、便宜的・限定的な真理である幻のようなカルマの法則に対して理解がないと、すべては無であるという断見に陥り、悪趣に落ちてしまうので、この幻のような縁起の世界の法に関しても、正しい理解が必要なのである。
このように、究極の意味の真理と、便宜的・限定的な意味の真理という、二つの真理の理解が必要である。これについてミラレ―パはこう語っている。
「愚昧な人々の心の状態に合わせて、
全智者である仏陀は、『すべては存在する』と説いた。
しかし究極の意味の真理からいえば
魔もなければ仏陀もない。
修習する者もいなければ修習すべきものもない。
導くべき場所もなければ道しるべもない。
結果である身体と智慧もない。
それゆえに、ニルヴァーナもない。
すべては、名前と概念によって仮に設定されただけである。
三界が堅固であることも動揺することも、本来成立せず、不生であり
基もなければ同時発生もない。
カルマも、カルマの果報もない。
それゆえ、輪廻という名前すらもない。
究極の意味においてはこのとおりである。」
「ああ、衆生がないならば、過去・現在・未来の仏陀は、どこから生じるのか。
因のない果はあり得ないから、
便宜的・限定的な真理としては、輪廻とニルヴァーナは存在すると、聖者は説かれた。
存在物があらわれるということと、存在がなく空性であるということの二つは
本質は無差別であり不二であるから、
すべては双入であり、広大である。
そのように理解した賢者は、認識を見ずに智慧を見た。
衆生を見ずに仏陀を見た。
有法を見ずに法を見た。」
このように、究極の意味としては輪廻とニルヴァーナの如何なる法も存在しないが、便宜的・限定的な意味としては、衆生が仏陀になること等の、輪廻とニルヴァーナにおけるすべての設定がある。
そしてこの、名前と概念によって仮に設定された、縁起によってあらわれる現象と、すべてが自性として成立しないという空性の二つは、本質は同じものとして存在する。
よって、縁起やカルマの法則に代表されるこの世の限定的な法と、すべては空であるという法は、どちらかをとることによってどちらかを捨てるということがあってはならないのである。
2:身体のあり方
「身体のあり方」とは、チャクラやナーディなどがどこにあるか、どのようなときにどこに集中すべきかというような、深い方便道の問題を扱う場である。
それは流派によって微妙に違いがあるので、師の教えによって、詳しく学ぶべきである。
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