解説「菩薩の生き方」第九回(3)
はい。そして――しかもその菩薩の意志っていうのは、ここに書いてあるように、「期間に限定を加えず、そして衆生の数に限定を加えず、世界と衆生が完全に滅するまで」って書いてある。つまり、これはさっき言ったように、はい、今日だけは食べ物持ってきましたからどうぞ、っていう世界ではなくて、無期限。つまりここでいう無期限っていうのは、最後までっていうことです。最後。つまり最後の一人の魂が救われるまで。最後の一人の魂が悟りを得るまで。これは大変想像を絶する長い期間っていうことですね。
そしてもちろん対象にも限定を加えない。つまり五百人限定で救いますよとか――もちろんカルマによって、条件によって、今生は何人とかはあるよ。今生、例えばお釈迦様だって、いつも言うようにインド全体を救ったわけじゃない。お釈迦様はまあ、仏典を見るとね――「千二百五十人の弟子を引き連れてここで法を説きました」とか、よくそういう表現があるんだけど。おそらくお釈迦様の近くにいた高弟みたいな人たちがそれくらいいたんでしょう。千二百五十人ぐらいいて、で、さらにそれを支える在家信者っていうのがいて。まあそれも何人か分かんないけど、そんな、たぶん何百倍はいないよね。何十倍ぐらいはいたのかもしれない。でも言ってみればその程度です。それがお釈迦様が現われたときの、まあ救済する対象だったんだね。条件的にはね。もちろんそれからお釈迦様のおかげで仏教っていうのはこの地上に残り、その影響によって多くの人が救われたわけだけど、でもそれも条件的なものですよね。そのカルマに合った者だけが救われたと。こういう感じで、なんていうかな、期間的な意味では、例えば今生われわれが手を出せる人とかは決まってるわけだけど、しかし、それを何度も繰り返すわけですね。何度も繰り返して、今生はこれしか救えなかったけども次の生ではもっともっと救うと。こういうことを繰り返して、最終的には全部救うと。
全員を、そして無期限で――無期限でっていうのは、だから期限付き契約とかじゃないわけだね。わたしは如来と五百億年契約しました、とかじゃない(笑)。あるいは、一万人救えばわたしはもうニルヴァーナに入ります、とかではない。ね。じゃなくて完全に無期限、そして無限定で救済すると。しかも――もう一回言うよ、その救済っていう意味が誰かを飢えから救うとかじゃなくて、あるいは命を救うでもなくて、魂を救うと。魂をその迷妄から脱却させ、解脱の境地に向かわせる。
ただね、これは実は前から言ってるけど、ここにはトリックがある。トリックがあるっていうのは、本当の意味で救うっていうのはなんなのかっていう問題ね。それは、その前の段階で自分の問題と考えた場合、自分が本当の意味で幸福になるってどういうことなのか。それはここでは何度か言ってるように、実はそれは解脱ですらないんだね。解脱でもなくて、解脱を超えた、つまり菩薩の境地、あるいは、まあ別パターンではバクタの境地。この神に仕えるバクタ、あるいは衆生に奉仕するためだけに生きる菩薩、この境地に至って初めてわれわれは本当の幸福を得たって言うことができる。
ということは、自分がそうだとしたら、衆生に対しても当然そうなりますよね。衆生を例えばニルヴァーナに入れると。それでいいんだったらちょっと薄情だよね。例えばですよ、おれはニルヴァーナが本当の幸福ではないことに気付いたと。真の幸福は自分を滅して衆生のために生きる菩薩道である!――でもみんなはニルヴァーナに行け――これ、なんか変ですよね(笑)。ちょっと変な感じ。よって、本当の意味での幸福――菩薩の境地に、結局みんなを導くことになる。うん。
っていうと、これはいつも言うように、あれ、じゃあいつ終わるんだ?ってなるよね(笑)。導いた人は菩薩になっちゃうから(笑)、みんなニルヴァーナに入らない。誰もニルヴァーナに入らないままに、なんていうかな、世界が展開されていくっていうか。ただ、菩薩の比率は多くなる。世界に菩薩がだんだん溢れてきて(笑)。でも逆に――今笑い話みたいに言ってるけど、逆にそうなったら素晴らしいよね。今はもう全然逆ですから。菩薩といわれる人はほんとにこの宇宙にわずかしかいない。菩薩といわれる人っていうのは、何度も言うけども、別にステージの問題じゃないよ。志の問題です。志。菩薩の志を持つ人っていうのはこの生命体の中でほんとわずかしかいない。だから最初にも言ったように、皆さんがもし心に少しでも菩薩道の気持ちがあるならば、それは大変貴重なんだね。うん。非常に貴重。
なんていうかな、そういうの、なんて言うんだっけ? 絶滅寸前の動物みたいなもの、そういうのってなんて言うんだっけ?
(S)絶滅危惧種。
絶滅危惧種(笑)。
(一同笑)
とにかく貴重な種だっていうことだね。貴重な種を持った存在だと。それは自分でも自覚したらいい。
で、それが――もちろんね、今はちょっと冗談みたいに言ったけど、まさに絶滅危惧種かもしれないよ。この地球の流れでいうならね。地球の流れっていうのはカリユガで、どんどん個人主義になり、エゴを肯定するような時代にどんどんなっていき、で、ダルマはかたちだけはあるけどもその本質はどんどん失われてると。まさに絶滅させられるような流れになってるわけですね。で、そこで簡単に、その流れに乗り絶滅するんじゃなくて――絶滅しちゃ駄目ですよ、皆さん(笑)。なんか苦しいな、菩薩行苦しいな、苦しいな、いや、じゃあもういいかと。苦しいから放り投げよう――こうなるともちろん絶滅してしまう。だからそうじゃなくて、われわれこそが、自分こそが最後に残った砦なんだと。これはね、そういう自負っていうか――を強く持ってください。こういう自負はいい自負です。で、一人になろうとも、たとえ一人になろうともと。そういう気持ちがいいね。うん。もちろん一人にはならないだろうけど、でもそれくらいの気持ちね。あまりにも菩薩の道が大変で、みんな今は楽しくやってるけどどんどんみんなが脱落していって、気付いたら誰もいないと(笑)。この間まで「菩薩道!」とか言ってたのに、あれ、みんなどうしたんだ、っていう感じで――仮にですよ、これは。そういうことはないだろうけど、仮にそうなって、仮に自分一人になっても、わたし一人になっても、絶対にこの火は絶やさないというくらいの気持ちで、さっき言った責任と、それから燃えるような、気高い、喜びを伴なった自負心を持って、菩薩道を歩んでほしいね。
はい。で、もう一回言うけども、そのような者っていうのは大変少ないんだと。だからそのような志を持つ者っていうのは大変称賛に値する者であって、素晴らしい者なんだっていうことですね、ここはね。
-
前の記事
解説「王のための四十のドーハー」第六回(3) -
次の記事
解説「菩薩の生き方」第九回(4)