yoga school kailas

解説「菩薩の生き方」第三回(4)

 前にも言ったけどさ、わたし、ある人から電話がかかってきたことがあって。ある人って一般の人ね。一般の人から電話がかかってきて、「いやあ、よくブログ見させてもらってます」と。で、まあ、その人は、あるところでヨーガ修行――まあ解脱のためのヨーガ修行をやってるらしいんだけど、「いや、先生はやっぱりニルヴァーナを目指してるんですか?」って聞かれたんだね。で、わたしが答えたのは、「いや、ニルヴァーナは目指してないよ」と(笑)。ね。じゃなくて、「わたしは神のしもべとして、菩薩の道をいきたい」と。ね。つまり、「神の道具として、みんなの悟りや幸せのためにこの肉体や存在を使ってほしい」と。「でもそれは汚いと使えないから、そのための純粋な道具となるために日々修行してるんです」っていうことを、普通にここでみんなに言ってるように言ったんだね。そしたらその人はなんか理解不能みたいな感じで、「え? 何を、何を言ってるんですか?」と。ね。「修行っていうものは、解脱のために、つまり輪廻を超えるためにするんじゃないんですか?」と言うんだね。で、ちょっと話が全然噛み合わなくて、「ちょっとよくわかりません」みたいな感じで終わっちゃったんだけど。
 でも、そういう人は結構いるんです。っていうかベースはそうだから。ベースは、「この輪廻苦しいですね。よって、輪廻から解脱して、寂静の境地であるニルヴァーナにいきましょう。」――このダルマとしか縁がない人もたくさんいるんです。で、そうじゃなくて、さっき言ったみたいにね――まあ今日は、今日はっていうかずーっとカイラスでは高度な話ばっかりしてるわけだけど。カイラス高度ですよね。ニルヴァーナとか言わないよ。っていうか、もちろんニルヴァーナも高度だよ。普通はニルヴァーナさえも言わないから。普通は単純に、「はい、ヨーガでナーディを通して健康になりましょう」とかね、「運が良くなりますよ」とかしか言わないわけだけど(笑)。ニルヴァーナでも高度だけど、ここはなんていうかな、「神のシナリオ」とかね(笑)。

(一同笑)

 「え? 何それ?」って感じだよね(笑)。菩薩道よりも高度かもしれないね。うん。「神のシナリオですよ。」「え? なんですか、それ?」と(笑)。「神のシナリオを演じきりましょう」と。「いや、わけがわかりません」と(笑)。ね。あるいは菩薩行、さっき言ったようにね。いや、ニルヴァーナは――ラーマクリシュナの弟子たちもね、さっきのギリシュも堂々と言ってる。「われわれラーマクリシュナの弟子たちは、決してニルヴァーナなんて求めない」と。ね。「解脱してニルヴァーナに逃げるなんてことはしない」と。じゃなくて、ラーマクリシュナの、ね、しもべとしてね――彼らのグルはラーマクリシュナなんで、ラーマクリシュナのしもべとして、ね、神が計画された人生を生ききるんだと。それがまあ、われわれの兄弟なんだって言い方をしてる。それはやっぱり非常に高度っていうか、修行を積み重ねてきた人たちの至る道なんだね。
 で、そのような菩提心、あるいは神のしもべの教え、あるいはバクティヨーガの教えに皆さんが出合えてるってことっていうのは――今ちょっと広げたけどね。菩提心だけじゃなくてバクティヨーガも含めて、そのような道に出合えていること自体が非常に稀であって、あるいは貴重であって。で、もう一回言うけども、それのみが、それのみがっていうかそれこそが、本当はもう九十九パーセント負けぐらいのわれわれのけがれとか悪魔との戦いに勝てるアイテムなんだと。

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