覚醒への道を歩め
最近、前世がどうとか、霊がどうとかいう話が、テレビとか、巷でもよくはやってるみたいだね。
もちろん、輪廻転生がある以上、前世は存在する。そして霊というのもあるだろう。
ヨーガ教室に初めて来た人とかに、最近、よく聞かれるんだ。「先生は霊が見えますか?」って。私はいつもこう答えるんだ。
「調子の悪いときに見えるよ」
ってね。
実際、たとえば教室の指導が続いて、自分の修行があまりできなくて、エネルギー的にも精神的にも調子が悪くなると、霊を感じたり、見たりしだします。
ある程度霊的な素養を持つとね、霊的な世界に入るようになる。しかしそこで何とかの霊とか、そういうのを見るようになる人は、はっきり言うとエネルギーや精神の状態があまりよくない人だ。
霊というのは、動物や虫がそこら中にいるように、普通にそこら中にいるよ。それはこの世とダブったかたちで霊的な世界に存在している。しかし私たちが霊的な世界に入ったとき、何が見えるか、何を感じるかというのは、その人の精神性にかかっているんだ。
たとえばお釈迦様とか、ラーマクリシュナとか、その他インドやチベットの聖者たちがね、あなたにはこういう霊がついてますなんて話をしてますか(笑)? 彼らは神とかブッダとか、光とか、そういう話しかしない。
だから皆さんの前に立って、「あなたにはこういう霊が見えます」とか言う人は、それはそのように言う人自身の世界を見ているに過ぎないと考えたほうがいい。言われたほうには関係がない。まあ、もちろん、単に嘘をついている人もいるだろうけどね。嘘じゃなかったとしても、その人には本当に見えていたとしても、見えているものが真実とは限らないんだ。
それは修行をしているとよくわかるんだよ。修行の段階や状態で、見えるものや感じるものはぜんぜん変わってくるんだから。
私は不思議なんだよ。何でみんな、あんなの信じるのかなってね(笑)。全く証明のできない世界でしょ? まあ、占い感覚で気軽に相談とかしてるのかもしれないけどね。
私は、修行しろ、って言いたいね(笑)。修行すれば自分で見れるんだから。しかも正しい修行をすれば、いろいろな段階を踏んでいろいろな経験をするからね、一時的に自分が見たり聞いたり感じたりしたものにもこだわらなくなるだろうね。
生まれつき、霊的素質があって、いろんなものが見えたり感じたりするひとは、実際、たくさんいるんだろうと思います。しかし彼らは器が狭い。だから自分の世界しか知らないんだね。そう、それは霊的な意味での「井の中の蛙」だ。
そういう人たちの、証明のできない言葉を聴いて、慰めてもらってもしょうがないじゃないか。霊のせいになんかしちゃいけない(笑)。すべては自分のカルマだからね。
私は中学生のころからヨーガ修行をはじめたんだけど、最初のころ、神秘体験の連続でね、非常に興奮したね。いろいろなものが見えたり聞こえたり、身体的にもいろんなことが起きてね。
でもその数年後にそのときを振り返ると、それはすべてぜんぜん大したことがない、中途半端なものだったとわかった。でもそのときはね、すごいと思ってたんだ。
修行の道は、この繰り返しだ。「すごい経験をした!」とか、「すごい段階を達成した!」とか思うんだけど、一年後にさらに次の段階を達成して、以前を振り返ると、ぜんぜん大したことがなかったとわかるんだ。
そして修行を進めるたびにね、この広大な宇宙の真実を知り、神の真実を知り、逆に自分がどれだけ小さな、まだまだな段階だということがわかって、かえって謙虚になっていくね。まさに「実るほど頭をたれる稲穂かな」って感じだ。日本には良いことわざがいっぱいあるね(笑)。
さて、前世がどうこうというのも同じだ。修行をすると、仏教的にいうと「宿明通」という力がついて、自分の前世を思い出すことがあります。これは人にもよるけど、私はかなりはっきりと、いくつもの前世を思い出しています。
しかし他人の前世を読むというのは、結構大変なことです。それは正確に言うならね、その相手と完全に意識を合わせた上で、サマーディというね、究極の瞑想状態に入らなきゃいけないんだ。これは相当高い修行段階にある人がね、かなりの集中力と時間をかけないと無理だ。
だからよく、簡単にね、ああ、あなたの前世はこうですと、霊視しましたとか言う人がいるけど、こういう人は相当、不誠実な人だよ。何を適当なことを言ってるんだという感じだよね(笑)。不誠実というのは、相手にも不誠実だし、自分自身に対しても不誠実だ。
もちろん、ある人はね、カウンセリングの方便として、相手を安心させるために、前世とかを持ち出してね、見えてもいないものを見えていると適当に言っている人もいるかもしれないけどね。
だから自分の前世を知りたかったら、修行しましょう(笑)。だって、さっきの霊の話と同じで、他人がそんなことを言ってきても、何の証明もできない話なんだから。そんなのを聞いてもね、迷いをまた一つ増やすだけだと思うよ。迷いの原因をね。
ただ、前世を一つ二つ思い出しても、あまり意味がないというのも確かだけどね。だってものすごい数の輪廻を繰り返しているわけだから。
お釈迦様は形而上的なことを説かなかった、とか言う人もいるけど、そんなことはありません。お釈迦様は神の話、輪廻の話、前世の話などをたくさんしていますね。
でもお釈迦様はね、そういう話をしながら、弟子たちに、「君たちはこれを信じてはいけない」って言うんだね(笑)。なぜなら、それはまだ君たちのものではないから、と。君たち自身が、修行して、それを確認しなさいと。
仏教もヨーガも、本来そういうものだ。教祖様の言ったことを鵜呑みにする宗教じゃないんだ。覚醒するための、目を開くための道を教える宗教なんだね。それが、西洋的な、キリスト教とかとの大きな違いだ。キリスト教も、教えはすばらしいと思うけど、「キリストへの道」とか「神への道」とか「神を悟るための道」といったものがね、そのメソッドが具体的に説かれているわけじゃないからね。
だから皆さんにも、覚醒への道、心の目を開くための道を歩いてほしい。
何度も言うけど、「自称・目の開いた人」の、何の証明もできない話を聞いて、鵜呑みにしてもね、そのときは安心したりしたとしても、深い心の部分は、混乱するだけだよ。また新たな、混乱の種を一つ持ってしまったようなもんだ。
まあ、段階もあるだろうけどね。それまで唯物的な思想しかなかった人が、そういう人の話を聞いて、精神世界に目覚めていくきっかけにはなることはあるかもしれない。
しかし本質的には、皆さん自身が覚醒する道に、早く入ってほしいですね。本当のヨーガや仏教には、誰もが覚醒できる、目を開くことのできるメソッドがちゃんとあるんだから。
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