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覚醒の太陽(2)

(Ⅱ)七支の供養

 功徳を集積するための七支の供養を実践する前に、あなたと一切の衆生が、勝者・仏陀とその菩薩の継承者たちが顔を連ねる功徳の領域の前に集っていると考え、彼らの驚くべき性質を衆生に思い起こさせるべし。

◎供養の支

 揃えられる限りの花々、香りのよいお香、灯明、清らかな水、食べ物、飲み物などの供物を準備する。そして宝石が散りばめられた山々、魅力ある森林、世界中にある美しく素晴らしい自然に満ちた人けのない場所を観想する。これらはあなたの所有物でない供物である。この二種類の供物――あなたの所有するものと所有しないもの――を、以下の詞章を唱えながら、捧げるべし。

『この宝の心(菩提心)を得るために、これなる私は、如来に対し、正しく供養をささげまつる。穢れ無き正法の宝と、功徳の海なるブッダの子(菩薩など)たちに対してもまた。

 あらゆる花と、果実と、種々の薬草と、世にある限りの宝と、清澄にして快適なる水と、宝の山と、孤独に快適な森の場所と、美しき花に飾られて輝く蔓と、見事な果実に枝もたわわなる樹木と、天界などにおける香りと、芳醇なる香りと、もろもろの如意樹と、宝樹と、蓮華に飾られ白鳥の声によって楽しき池と、野生の植物と、栽培による草木と、供養の対象を荘厳すべき他の物と――虚空界の広がる限りにあまねきこれら一切のもので、しかも個人に属しないもの――これらのものを、これなる私は、意識に捉えて、最上の聖者と、ブッダの子とにささげまつる。
 最善の供物を受けるにふさわしく、大悲の心ある彼らは、私を哀れんでこれを受けたまえ。

 私は福善なく、はなはだ貧しい。他に供養すべき何ものも私にはない。ゆえに、利他の心を持ち給うもろもろの世尊は、私の利益のために、これを自らの力によって受けたまえ。』

 次に、以下の詞章を唱えながら、あなたの身口意を強制的に捧げるべし。

『私は、私自身を、勝者とブッダの子とに残り無くささげる。衆生の最高者たちよ。私を受け入れたまえ。私は熱烈なバクティ(信愛)をもって、あなた方の召使となる。

 あなた方に受け入れられれば、それによって私は恐れるところ無く、輪廻界において衆生のためになることを行なう。
 そして以前作った悪に打ち勝ち、重ねて他の悪を行なわない。』

 次に、以下の詞章を唱えながら、あなたのイメージで創った供物を捧げるべし。

『柱は宝の光によってあでやかに、天蓋はちりばめた真珠で輝き、敷石は透明に輝く水晶よりなる、芳香ただようかの浴室のうちで、快適なる香水と花に満ち、大いなる宝石で作られた幾多の水瓶をもって、この私は、如来とブッダの子(菩薩など)を洗浴する。賛歌を唱え、音楽を奏しながら。

 さらに、香を薫じ、汚れなく、類のない布で、私はその(ブッダや菩薩の)体をぬぐう。それから彼らに、色鮮やかな馥郁たる最上の衣をささげる。

 柔軟にして優しい種々の見事な天衣、また種々なる装飾をもって、私は、サマンタバドラ、アジタ、マンジュシュリー、ローケーシュヴァラなどにも供養し奉る。

 全三千世界に薫の行き渡る最上の香料をもって、私は――火で焼き、石で擦り、酸で洗った黄金のような光沢を持つ、すべての聖者の王の身を塗る。

 薫高く心を奪う曼陀羅華、素馨の華のすべてをもって、またあでやかに組み立てられた花輪によって、最も恭敬すべき聖者の王を、私は恭敬する。

 濃厚な行き渡るあでやかなにおいの香煙で、私は彼らを薫ずる。そして、いろいろの固い食物とやわらかい食物をもって、私は彼らに飲食の供物を供える。

 また私は、黄金の蓮華の中に連ね並べた宝石の灯明を供える。そして香料の塗られた床の上に、楽しい花束をまきしく。

 さらに私は、真珠と宝石のすだれで美しく輝き、諸方の面の装飾の光彩陸離たるかの楼閣の雲集と、楽しい賛歌とを慈悲尊に供養する。

 優雅な黄金の柄によって高く掲げられ、真珠をちりばめて極めて美しい宝の傘を、この私は偉大なる聖者のためにささげる。』

 そして、以下の詞章を唱えながら、渇仰の力によって供物を捧げるべし。

『これからあでやかな供養の雲集と、すべての衆生の喜ぶ音楽歌唱の雲集とは、起こりあがれよ。

 宝のごときすべての正法の上に、またストゥーパと仏像とに、絶え間なく、華と宝等の雨はふれかし。

 妙音(マンジュシュリー)等が勝者(如来)を供養するように、私は尊き如来とブッダの子とを供養する。

 音調の区分が海のように豊かな賛歌によって、私は功徳の大海をたたえる。そして、称賛合唱の雲が、彼ら(ブッダや菩薩)に対し、たがわずに起こらんことを。 』

 そして次の詞章を唱えながら、あなたの恭敬と忠誠を捧げるべし。

『また一切の仏国土にある微塵の数に等しい敬礼の数で、私は法と最勝なる(菩薩の)集団とを伴う一切三世のもろもろの覚者に敬礼する。

 すべてのストゥーパを、また菩薩の所依を私は崇拝する。拝むべき親教師に、また長老に帰命する。』

 これらの八種類の供物の一切を供養するために、言葉の意味を考えつつ、心の底の底から誠実に彼らに供物を捧げるべし。

※八種類の供物――(1)自分の所有物、(2)誰の所有物でもないもの、(3)自分の身体、(4)儀式的な水浴、(5)快適な物、(6)渇仰の力によって創られた供物、(7)この上ない供物、(8)心地よい讃嘆――(1)~(3)が現実に捧げるものであり、(4)~(8)が観想によって捧げるものである。

 これらの供物はすべて、純粋なる領域である三宝の面前に用意される。それらの材料は清らかで、悪業や物惜しみによってけがされていない。そして見返りに何かを得たいという期待やカルマの報いへの期待がないので、動機も純粋である。

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