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覚醒の太陽(3)

◎帰依をすること

 あなたは、並外れて優れている対象――卓越した大乗の稀有なる至高の三法に帰依し、一切の衆生のために、完全なる悟りを得るまで、類稀な動機をもって帰依するのだと考え、次の詞章を三回唱えるべし。

『覚醒の境地を得るまで、私は覚者に帰依する。また真理の法に帰依し、菩薩の集まりに帰依する。』

◎罪悪の懺悔

『一切の方位に住する正覚者と、大慈悲心ある菩薩に、合掌をささげて私は次のごとく告げざるを得ない。』

 この詞章を唱えながら、われわれの懺悔を受けてくださる者たちに祈りを捧げ、彼らの慈悲を乞うべである。そして次のように考えるべし。

「われわれが過去に犯した悪業は、われわれの体の中に毒のように存在する。
 われわれの支えである三宝は、毒によって引き起こされた病を癒すことのできる医師の如くである。
 解毒剤である聖なるダルマは、薬の如くである。
 そして、そのような悪業は未来においてもう二度と繰り返さないぞという確固たる決意は、体に十分な活力を取り戻させる甘露の如くである。」

 以上の四つの見解を思い起して、以下の詞章を唱え、慙愧の念を培うべし。

『無始の輪廻において、あるいはまた今生において、獣のごとき私が、いかなる悪をなし、あるいは他をしてなさしめたとしても、あるいは無智のゆえに、身を滅ぼすための罪過を是認したとしても――かかる罪過を、私は後に受けるべき苦痛に悩まされて、告白する。

 三宝に対し、父母に対し、師に対し、あるいは他人に対し、身と言葉と心をもって、私は怠慢のゆえに罪過を犯した。

 導師よ。多くの過ちによって堕落した罪深き私が、いかに恐るべき罪悪を犯したにしても、そのすべてを私は告白する。

 どうして私はこの罪悪を逃れえようか。速やかに守りたまえ。私の罪が滅びない間に、にわかに死が私に到来しないように願う。

 この死は、われわれがことをなし終わったか否かをかえりみない。確信をもってわれらを滅ぼす。それは、健康なると否とによって当てにしがたい。大電撃のように突然にわれわれを襲う。

 愛しいもの、憎らしいもののために、私はしばしば罪悪を犯した。いつかはこれらすべてのものを捨てて行かねばならぬ事実を、私は悟らなかった。

 やがては憎らしいものもなくなり、愛しいものも存在しなくなるであろう。私も存在せず、すべてのものもなくなるであろう。

 知覚せられたあらゆるものは、すべて記憶の中に去り行く。夢で知覚したもののように、一切は過ぎ去って、再び認められない。
 私がここにとどまっている間に、愛しいもの・憎らしいものの多くが、過ぎ去っていった。ただ彼らのために犯した恐ろしい罪悪だけが、私の面前に残っている。

 かように私は、自己がこの世の遇来の客であることを認識しなかった。そして無智と貪愛と嫌悪によって、多くの罪悪を犯した。

 昼夜絶え間なく寿命はますます減少し、しかも増加の生ずることはありえない。私の死なないことが、どうしてありうるか。

 ここに寝床に伏しながら、また親戚の間にありながら、私はただ一人で断末魔等の苦しみを忍ばねばならない。

 ヤマ(閻魔)の使者につかまれたときに、どこに親戚が求められ、友人が求められるか。ただ福善のみが、私を救いうる。しかも私は、それを修めなかった。

 師主よ。無常の生命に愛著して、この来るべき悲惨事を知らず、怠惰なる私は、多くの罪悪を犯した。

 今もし、(何かの刑を宣告されて)手足を切断されるために引きたてられていくとしたら、人は気力を失い、のどは渇き、目はくらみ、世界を転倒して見るだろう。

 ましてや、恐ろしい形相のヤマの使者に駆使せられ、大いなる恐怖の炎に呑まれ、糞便の排泄にまみれるにおいては、なおさらであろう。

 臆病なまなざしで四方に救いを求めるとき、どんな善人が、この大危難から私を救うであろうか。

 四方に救いがないのを見て、私が再び惑いに落ちたとき、この大危難の状態において、私は何をなしうるであろうか。』

 そして、以下の詞章を唱えながら、加護の力を思い起こすべし。

『まさに今私は、大いなる力がある世界の師主、世界救済のために精勤し、一切の恐怖を取り除く勝者(如来)に、帰依し奉る。

 また彼らが証得し、かつ輪廻の危難を滅ぼすところのダルマに私は帰依する。菩薩方に対してもまた、心から帰依する。

 危難におののく私は、サマンタバドラに我が身をささげる。また妙音(マンジュシュリー)に対し、自ら我が身をささげ奉る。

 また常に慈悲に満ちてあり給うローケーシュヴァラに向かって、私は恐ろしいままに、苦悩の声をあげて呼びかける。悪人の私を守りたまえ。

 さらに聖なるアーカーシャガルバとクシティガルバとに、またすべて大慈悲心あるものに、私は心から救いを求めて呼びかける。

 また、それを見ればヤマの使者等の悪鬼が直ちに恐れて四方に逃れ去る、ヴァジュラダラに私は帰依する。

 これまで私はあなた方の言葉にそむいてきた。しかし今、危難がわかったので、恐ろしいままにあなた方に帰依を表する。速やかに危難を除きたまえ。』

 以下の詞章を唱えながら、対抗手段としての行為の力を定めるべきである。

『一時的な病にかかったときですら、人は恐れて医師の言葉にそむかないであろう。まして、四百四病におかされるにおいては言うまでもない。
 それは、その一つによってもジャンブ州(人間界の一つのカテゴリー)すべての人が滅び、しかもそれには、治療の薬がどこにも得られない。

 ただしここに、一切の苦悩を取り除く全智の医師がいる。私がその言葉にそむくとは。ああ愚かしき限りの私なるかな。

 他の険峻を前にすれば、私は極めて注意深くそこに立つ。まして、永く逃れがたい千ヨージャナの険峻(地獄)を前にしたならば、なおさらである。

 今にも死が起こらないか。私は安閑としておるべきではない。終局は必ず来る。そのとき私は存在しないであろう。

 誰が私に恐怖からの解放を与えるか。いかにして私は苦しみを逃れえようか。必ず私は存在を失うであろう。どうして私の心は、安住することができようか。

 先に享受してすでに滅び去り、また、それに愛著して私が師の言葉にそむいたその享楽――それから今、どんな価値が私に残っているか。

 この生の世界を捨てて、また親戚と知己を捨てて、ただ一人どこに私は行くであろうか。すべて愛しいもの、憎らしいもの、共に私に何の役に立とう。

 不浄行(悪行)によって必然に生ずる苦しみから、どうして免れうるかと、昼夜常に考えることこそ、私にふさわしいことだ。

 愚かしく迷える私は、いくつもの罪を重ねた。それは自性上呵責せらるべき(十不善業)と、ブッダによって施設せられた呵責とである。

 これなる私は、苦しみを恐れ、師主の前に立って、合掌をささげ、幾度も平伏して、このすべてを告白する。

 導師よ、罪過を罪過として受け取りたまえ。世尊よ、かような不善を私は再び犯さないであろう。』

 そして上記の最後の二節について深く考えつつ、以下のように、心の底から決意を誓うべし。
 
「これらの行為は悪行であるゆえ、わたしは今から二度とそれらを行なわないことをここに誓う。」

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