要約・ラーマクリシュナの生涯(27)「ドッキネッショルを訪れた様々な修行者たち」⑤
◎パンディット・パドマローチャン
パンディット・パドマローチャンは、ブルドワンのマハーラージャの宮廷のお抱えのパンディットたちの長であり、ベンガル中で偉大な賢者として知られていた。
彼が賢者として人々から尊敬されていたのは、単に多くの聖典の知識を持っているからだけではなかった。日常生活においても、善行、高貴さ、苦行、無執着、神への一途な献身、その他多くの素晴らしい性質を人々は目にしており、まれにみる修行者の一人であることは間違いなかった。この世において、真の聖典の知識と神への深い信仰の共存は稀なものであり、その両者を併せ持つ人は深い魅力を持つ。パドマローチャンはまさにそのような人物の一人だった。
ラーマクリシュナはあるときこのパドマローチャンの評判を耳にして、会ってみたいと考えた。それを知ったモトゥルが、ラーマクリシュナと共にブルドワンを訪ねることを検討していたちょうどそのころ、病気療養中のパドマローチャンが、転地療養のためにアリアダハのガーデンハウスに滞在しているという情報が入った。
その真偽を確認するために、フリドエがつかわされた。パドマローチャンもラーマクリシュナのことを聞いて、非常に会いたがった。そこである日、ラーマクリシュナはフリドエと共にパドマローチャンのもとを訪ねたのだった。
初対面のときから、ラーマクリシュナとパドマローチャンは、お互いを認め合った。ラーマクリシュナはパドマーチャランを、謙虚で心の広い、修行者かつ深遠な学者として認めた。そしてパンディットは、ラーマクリシュナが偉大な魂であり、非常に崇高な霊的段階に達していることに気付いた。
ラーマクリシュナが美しい声で聖なる母の歌を歌ったとき、パドマローチャンは涙をこらえることができなかった。また、会話の最中にもラーマクリシュナがしばしばサマーディに入ってしまうのを見て驚いたパドマローチャンは、サマーディに入っているときの経験をラーマクリシュナに尋ね、それらが自分が学んできた聖典の内容と合致するのかどうかの結論に至ることはできなかった。聖典をいくら探しても、ラーマクリシュナが経験したようなことは書いていなかった。聖典の記述とラーマクリシュナの体験のどちらが本当なのか、初対面のときにはパドマローチャンは確信をもって答えを出すことはできなかった。
その後も二人は何度か会い、そのたびにパドマローチャンは、ラーマクリシュナの持つ崇高なる霊的境地への理解を深めていった。
パドマローチャンはただの学者ではなく偉大な修行者でもあったが、正統的なヴェーダーンタの修行だけではなく、タントラの修行も実践していた。そしてその修行の結果として、女神の恩寵によってある神秘的な力を得ていた。
パドマローチャンはいつも自分のそばに水差しと手拭いを置いていた。学者たちとの会合や議論の際に、通常なら解決しがたい難題が生じたとき、パドマローチャンはいつも、いったん集会を離れ、その水差しの水と手拭いで顔を洗うのだった。この一見何でもない行為に、興味を持ったり、そこに隠れた意味があるなどと想像する者は誰もいなかった。しかし実はこの習慣は、タントラの女神の指示のもとにおこなっていたことだった。そしてこの秘密の行為の後には、パドマローチャンの中に霊的な知識、知性、平静心が目覚め、彼は誰との討論にも無敵になるのだった。パドマローチャンはこの秘密を決して誰にも、妻にさえも教えていなかった。聖なる女神が秘密に教えてくださった指示に疑問を持たずに従った彼は、誰にも知られることなく、その偉大な成果を経験し続けていたのだった。
しかしラーマクリシュナは、母なる神に教えられて、このパドマローチャンの秘密をひそかに知った。そこでラーマクリシュナはあるとき、パドマローチャンのその秘密の水差しと手拭いを、こっそりと隠してしまった。そのときちょうど、ある即決を要する重要な問題が生じた。パドマローチャンはいつものようにしようと思ったが、大事な水差しと手拭いがどこにもないことに気づいて狼狽し、必死で探し回った。
そしてそれを隠していたのはラーマクリシュナであり、しかも彼は自分が誰にも話していないすべての秘密を知ったうえでそうしたということを知って、パドマローチャンの目には涙があふれた。そしてグルは理想神そのものであるという賛歌を歌い、心からラーマクリシュナを称えた。
このときからパドマローチャンはラーマクリシュナをアヴァターラ(神の化身)と仰ぐようになった。あるとき彼はラーマクリシュナにこう言った。
「私の体調が回復したら、すぐにパンディットを会合に全員呼び集めて、あなたが神の化身であられることを宣言しましょう。誰が反論できるものか見てみましょう。」
またあるとき、モトゥルが、ドッキネッショルのカーリー寺院でパンディットたちの会合を開こうとしていた。しかし前述のように、ドッキネッショルのカーリー寺院は、シュードラという低い階級に属するラニ・ラスモニが作ったものであったため、正統派のブラーミンたちの中には、そこに行ったり供養を受けたりすることを拒む者もいた。そこで、パドマローチャンが出席を断らないように頼んでくれるよう、モトゥルはラーマクリシュナにお願いした。そこであるときラーマクリシュナはパドマローチャンに言った。
「ねえ、ドッキネッショルに来てくれるかね?」
パドマローチャンは答えた。
「もちろんでございます。あなたとご一緒なら、たとえ掃除婦の家にでも出かけて行って食事をしましょう。自分より低いカーストの家での会合に参加することなど、取るに足らないことです。」
しかしパドマローチャンは結局、この会合に参加することはできなかった。会合の前に病気が悪化し、涙ながらにラーマクリシュナにお暇を告げると、ヴァーラーナシーに向けて旅立ち、間もなく他界した。
◎その他のパンディットたち
ラーマクリシュナは、パドマローチャンの他にもさまざまな著名なパンディットたちと会っており、後に弟子たちによくその話をした。それらのうちのいくつかを紹介しよう。
後にアーリヤ・サマージという有名な宗教団体を創始するスワーミー・ダヤーナンダ・サラスワティーが、カルカッタ北部のシンティ村に滞在していたことがあった。その当時はまだダヤーナンダは人々に向けて教えを説いておらず、組織も作っていなかったが、有名なパンディットであった。そこである日、ラーマクリシュナは彼に会いに行った。そのときの印象について、ラーマクリシュナは後に弟子たちにこう語った。
「彼は多少の霊力を得ていたようだった。そして彼の胸は常に赤かった。彼はヴァイカリー(明確な発音表現)の境地にあって、昼も夜も聖典のことを議論するのだった。しかしサンスクリット語の文法の知識を用いて、聖典の(真の)意味の多くをゆがめていた。そして野心家だった。何か独自のことを成し遂げ、新しく教派を始めようとしていた。」
ジャヤナーラーヤンというパンディットに関しては、ラーマクリシュナはこう語った。
「偉大なパンディットだったが、エゴは跡形もなかった。自ら自分の死を予期し、ヴァーラーナシーで肉体を捨てることを予言した。そしてその通りになったのだよ。」
ラーマの熱心な信者だったアリアダハのクリシュナキショレ・バッターチャーリヤのことを、ラーマクリシュナはしょっちゅう口にしていた。ラーマクリシュナは頻繁に彼の家を訪れ、彼の妻もラーマクリシュナに深く帰依していた。
クリシュナキショレはラーマの御名のみならず、マーラという言葉にも深い信仰を抱き、それを優れたマントラとみなしていた。これは、ラーマーヤナの記述者であるヴァールミーキーがかつて盗賊であったとき、彼の心をラーマの御名に集中させるために、聖者が、当時の彼のカルマに合った言葉として「殺す」ことを意味する「マーラ」という言葉を繰り返させて、結果的にラーマの御名を唱えさせたという故事による。そのような故事もクリシュナキショレは純粋に信じ、信仰を持っていたのだった。