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要約・ラーマクリシュナの生涯(19)「ヴェーダーンタの修行の後日譚及びイスラームの修行」

19 ヴェーダーンタの修行の後日譚及びイスラームの修行

 トータープリーがドッキネッショルを去った後、ラーマクリシュナは、非二元の状態、すなわち神との完全な合一の不断の経験の中にあり続けようと考え、実際にニルヴィカルパ・サマーディにとどまり続けた。
 普通はその状態に入った場合、もう通常意識には戻って来れない場合も多い。また、長期間その状態に入り続けた場合、肉体は21日間しかもたないといわれている。しかしラーマクリシュナは何と六ヶ月間にわたって、この状態に入り続けたのだった。
 その間、ハエが、死者の鼻の穴や口の中に勝手に入るように、ラーマクリシュナの鼻の穴や口の中を出入りした。髪の毛は塵に覆われてもじゃもじゃになった。そのまま死んでもおかしくはなかった。
 しかしあるとき突然どこからか一人の修行者がやってきた。彼は一目でラーマクリシュナの状態を理解し、母なる神のたくさんのお仕事がまだこの肉体を使ってなされなければならないということを知った。そこで彼は時々、ラーマクリシュナの身体を棒で叩き、意識を肉体に戻させようとした。少しでも意識が戻りかけると、彼はラーマクリシュナの口の中に無理矢理食べ物を詰め込んだ。あるときはそのうちのほんの少しが胃に届き、あるときはそれさえも届かなかった。

 このようにして六ヶ月が過ぎたとき、ラーマクリシュナは、『バーヴァムカの境地(非二元性と二元性が同時に感知される境地)にとどまれ! 人々の霊性を目覚めさせるために、バーヴァムカの境地にとどまれ!』という母なる神の命令を聞いた。こうして前代未聞の六ヶ月という長きにわたるラーマクリシュナのニルヴィカルパ・サマーディは終わりを告げたのである。

 そして非二元の世界から通常意識に戻って来たラーマクリシュナは、自分が、神の委託を受けた者、あるいは修行によって神に到達した者というよりも、実は神の化身そのものであって、もともと永遠に聖なるものであり、ただ現代におけるダルマの堕落を阻止し、人間に幸福をもたらすために今は人間の肉体に宿り、サーダナーを実践したのだということを悟った。
 また、自分が生きているうちにはごくわずかな人々しかこの神のリーラーの神秘を知ることはできないであろうということ、そして一般の人々がそれを理解し始める頃には、自分は母なる神の中に吸収されてしまうが、しかしこの心身が生み出す聖なる波動は、肉体の消滅後によりいっそう大きな力で広まり、人類の幸福に莫大な貢献を為すであろうということを悟った。

 そしてこの六ヶ月間のニルヴィカルパ・サマーディの直後、ラーマクリシュナは激しい赤痢にかかり、六ヶ月間、苦しみ続けた。これは六ヶ月間ニルヴィカルパ・サマーディに入り続けるという前代未聞の奇跡によって肉体に無理がたたったからだともいわれるが、ラーマクリシュナ自身は、この病はモトゥルの妻の病を背負ったからだとも言っていた。モトゥルの妻は医者がさじを投げるほどの死の病にかかっていたが、モトゥルに相談されたラーマクリシュナが「心配しないでも良い。奥さんは治るよ」と言ったその日、モトゥルが家に帰ると、妻の病状は突然に好転していたのである。

 甥のフリドエは、昼も夜も献身的にラーマクリシュナの看病をした。モトゥルは有名な医師に治療を頼み、食事療法その他の手配をした。 

 ラーマクリシュナがこの病気から回復したばかりの頃、ゴーヴィンダ・ライという名のイスラーム教の修行者が、ドッキネッショルのカーリー寺院にやってきた。ここでは、ヒンドゥー教のサードゥと全く同じようにイスラーム教のファキール(托鉢僧)も歓迎され、食事などを提供されたのである。彼は喜んでここにとどまり、パンチャヴァティの下でイスラーム教の修行をしながら暮らし始めた。

 ラーマクリシュナはたまたまこのゴーヴィンダ・ライと話を交わし、彼の真面目な信仰と神への愛に心惹かれた。
 一般にはヒンドゥー教とイスラーム教はお互いに双方を否定することが多いが、ラーマクリシュナにはそのような偏見は全くなく、この道によっては人はどのように霊的なゴールに達するのか見てみたいという思いが生じた。そこでラーマクリシュナはこのゴーヴィンダ・ライの指示の下、イスラーム教の修行に専念することにした。
 ラーマクリシュナは深い信仰をもって<アッラー>の音節を繰り返し、ムスリムのような衣服をまとい、日に三度、礼拝をおこなった。この期間、ヒンドゥー教的なものの考え方は全く心から消えてしまった。ラーマクリシュナはこのムードで三日間修行し続け、たったその三日で、イスラーム教の修行の結果を完全に悟った。
 イスラーム教の修行によって、彼はまず長いあごひげを生やした光輝く人物のヴィジョンを見、その後、属性をもつ遍在するブラフマンの叡智を得、そして最後に属性なきブラフマンの中に融合した。

 こうしてラーマクリシュナは、一般にはヒンドゥー教と相容れないと考えられているイスラーム教の修行によっても、その究極を極めるならば、ヒンドゥー教の最終段階と同様の境地に達するのだということを、身をもって証明したのだった。

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