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要約「シクシャー・サムッチャヤ」(23)「乞食の方法」

◎乞食の方法

 宝雲経には、次のように説かれている。

「托鉢行者は、得た食物を四等分し、その四分の一を仲間の修行者に分配し、四分の一をもろもろの貧しい人に施し、四分の一を餓鬼や動物に施し、四分の一を自ら食すべし。
 そして飲食において耽溺するなかれ。また、多くの量を求めることなかれ。
 もし飲食を必要以上に貪ることがなければ、身体は健康で軽く、力に満ちる。
 しかしもし飲食を必要以上に貪るならば、明日ももっと食べたいと思うようになり、身体は重くなり、睡眠も増える。」

 また、宝積経には、このように説かれている。

「もし出家修行者が町に入り、乞食をしようと思うならば、法に基づいて乞食をするべし。
 食物において選り好みをするなかれ。感覚器官を守って散乱なく、真理に基づいたものの見方を捨てるなかれ。
 食に心を覆われることなく乞食を行ない、もし食物を得たとしても喜ばず、愛著せず、もし食物を得られなかったとしても怒りを起こすなかれ。
 もし十件以上の家を訪ねても食物を得られなかったとしても、心の痛みや悩みを生じさせるなかれ。
 また乞食の最中に、もろもろの人々や動物を見て、慈悲心を起こすべし。そしてもし彼らが食物を施してくれたならば、その功徳によって皆天界に生まれることを願うべし。
 食物を得た後、あまねく四方を観察し、もし貧窮な者がいたならば、その食物を分け与えるべし。
 そして食物を持って寂静な場所に行き、手足を洗い、出家修行者に定められたもろもろの儀式を行なった後で、蓮華座を組んでそれを飲食すべし。

 また、食するときに、次のような心を起こすべし。
『私の身体の中にいる様々な虫や微生物が、この食物によって皆安穏を得ますように。私は今、食物をもって彼ら虫や微生物たちを利益するが、私が覚醒を得たのちは、法をもって彼らに利益を与えられますように。』

 また、もし得た食物が少なかったときには、次のような心を起こすべし。
『少食はわが身を軽くし、排泄物は少なくなり、もろもろの過ちや悪を断じ、心身寂静にして、こん沈や睡眠は少なくなる。』と。

 また、もし得た食物が多かったときには、動物や人々で、それを必要としている者に施すべし。

 また、乞食修行者は、得た食物の味について、良し悪しの思いを起こすべからず。どんな美食も、食べた後はただの糞尿となる。そのように考えて、美食を求める心を捨てるべし。

 このように乞食修行者は、味覚への渇愛を離れ、自らの心を調伏すべし。ただ聖なる修行を行なうために身体を維持するためだけに、食をとるべし。
 
 また、もし大雨などのために乞食ができないときは、法の素晴らしさを思いつつ、慈愛の心をもって食物となすべし。そして次のように考えるべし。
『魔界や餓鬼界に落ちた者たちは、悪しきカルマのゆえに、100年以上も何も食べられない者もある。私は今、深遠なる真理の法の中に安住している。よって私は今、この身体の飢渇を耐えしのぼう。』と。」

 
 このように、乞食修行者は、食物をとるときに、次の三つの正念を起こすべし。
「私の身体にいる虫や微生物に施そう。」
「この食物で身体を維持し、正法を成就しよう。」
「この食物で身体を維持し、すべての衆生を救済しよう。」
 また、その他、如来が説かれたもろもろの方法で、正念を起こすべし。

◎衣について

 最上授所問経には、こう説かれている。

「出家修行者は、衣をもって身を覆い、人々の前で裸になることなかれ。衆生は出家修行者の衣を見て、ストゥーパ(仏塔)の想を起こす。ゆえに出家修行者は、自らは常にストゥーパを身にまとっているのだという思いで衣を着るべし。
 また、出家修行者の袈裟は、美しく染料をもって染めたりしてはいけない。煩悩を刺激するものであってはいけない。寂静の心を起こさせるようなものでなければならない。善行をなそうと思う者は、きらびやかな服を着てはならない。」

 宝積経には、こう説かれている。

「もしきらびやかな衣を着るならば、出家修行者の功徳が壊れる。よって、身にまとっても心に慢心を生じないような袈裟衣を着るべきである。
 きらびやかな衣を着、それに慢心を生じさせる出家修行者は、地獄に落ち、焼けた鉄の衣を着させられるのである。」

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