yoga school kailas

第二章 無上の正しい覚醒を得るためのよりどころ

 すべての衆生が如来の本性を有しているというならば、どんな世界に生まれても仏陀になれるのかというと、そうではありません。人間界に生まれ、人間の身体を得ることこそが、仏陀になるためのよりどころとしては、もっとも優れているのです。そしてただ人間に生まれればよいわけでもなく、他にもさまざまな条件があります。それらについて、以下に説明していきましょう。

◎有暇

 地獄は常に苦しみにさいなまれているので、真理を実践する機会がありません。
 餓鬼はむさぼりに心を焼かれているので、真理を実践する機会がありません。
 動物は無智が大きいので、真理を実践する機会がありません。
 天界は安楽が大きく、その一時的な楽をむさぼることにとらわれているため、真理を実践する機会がありません。

 これらに対して人間界は、そこそこの苦しみとそこそこの安楽がある世界なので、修行しやすいのです。
 人間界である程度の苦と楽を味わうことで、輪廻を離れようという気持ちが生じますし、慢心も静まりますし、衆生への慈悲も生じますし、悪を避けて善を実践しようという気持ちもわいてきやすいのです。

 しかしたとえ人として生まれても、真理が広まっていない辺境の地などに生まれたり、真理の教えがない時代に生まれたり、誤った見解を持ったり、言葉を理解できない者に生まれたりすると、真理の実践はしにくくなります。

 これらすべてをクリアしているならば、有暇を完全に具えているといえます。

◎内的条件

 さらに、真理の実践を可能にする内的条件には、五つあります。

1.人間に生まれたこと
2.優れた聖者と接近しやすい地に生まれたこと
3.言葉を理解でき、思索することができること
4.真理の教えを信じること
5.今生において、「五逆の罪」を犯していないこと

 五逆の罪とは、以下の五つです。
①自分の父親を殺すこと
②自分の母親を殺すこと
③解脱者を殺すこと
④仏陀の体から血を流すこと
⑤真理の教団を分裂させること

◎外的条件

 次に、真理の実践を可能にする外的条件にも五つがあります。

1.仏陀が出現したこと
2.仏陀が真理の教えを説いたこと
3.真理を教える師が存在していること
4.彼らが慈悲を持ち、教えを広めようとしたこと
5.師や教えと出会い、それを実践する機会を得たこと

◎得がたい機会

 これらの、有暇と、内的条件と外的条件のひとつだけを具えるのも、大変難しいことなのです。よって、これらすべて具えた人間の生は、宝のように尊いものなのです。
 それは、どのくらい得がたいのでしょうか? お釈迦様やシャーンティデーヴァは、「盲目の亀のたとえ」で、この得がたさを表現しています。
 この地球全体が海になったとして、その海底に盲目の亀が一匹住んでいます。そして海面には、ひとつのくびきが浮かんでおり、風に吹かれてあちこちに動いています。たまたま海上に上がってきた盲目の亀の頭が、そのくびきの穴に偶然入る確率は、どれほど低いものでしょうか? われわれが、すべての有暇と内的条件・外的条件を具えた人間の生を得る確率は、これと同じほどのものだというのです。

 

◎三つのタイプの衆生

 こうしてすべての有暇と内的条件・外的条件を具えた人間も、三つの段階に分けられます。

1.劣った衆生
 地獄・動物・餓鬼の三悪趣に落ちることを避け、ただ人間や天界に生まれて幸福になることだけを求めるのが、最も劣った衆生です。

2.中くらいの衆生
 輪廻の幸福に背を向けて、自己の解脱・寂静だけを求めるのが、中くらいの衆生です。

3.偉大なる衆生
 他者の苦しみを自らが背負い、すべての衆生の苦しみを正しく滅尽させたいと欲するのが、偉大なる衆生です。

◎きわめて滅しやすいこと

 このように、あらゆる条件を具えた人間の身体は大変得がたく、そして利益が大きいものですが、同時にきわめて滅しやすいものでもあります。死の条件は多く、瞬間といえども時は止まることなく、死のときは近づいています。今日死ななかったからといって、安らぐことはできません。死は必ずやってくるのです。

 このように、あらゆる条件を具えた人間の身体は得がたく、利益が大きく、そして滅しやすいということを理解しなければなりません。そしてこの人間の身体を船だと考え、このチャンスを生かして、死がやってくる前に、苦しみの輪廻の海をなんとしてでも渡りきろうと考えなければなりません。この船は本当に得がたいので、眠りや怠惰に堕している場合ではないのです。
 この身体は、善をなし、輪廻を超えるための船であり、道具であり、僕であるとみなし、徹底的にそのために使わなければなりません。

◎信の重要性

 それらを本当に実践するには、強い信が必要です。信がなければ、聖なる法は、心の連続体に生じません。それはちょうど、火で焼かれた種を植えても、芽は出ないというようなものです。信の心が弱い者は、心を浄化することができず、仏陀になることもできないのです。よってまず強い信を育てることが重要です。

◎三つの信
 
 その信には、「信頼の信」と、「決意の信」と、「清らかな信」があります。

 「信頼の信」とは、以下のことなどを信じることです。
 ・善によって輪廻における幸福が生じること
 ・悪によって輪廻における苦しみが生じること
 ・煩悩によって苦しみの輪廻が生じること
 ・解脱によって苦しみの輪廻から解放されること

 「決意の信」とは、無上の正しい覚醒こそが最高であると理解し、それを必ず得ることを決意することです。

 「清らかな信」とは、ブッダと、ブッダの教えと、ブッダの教えを実践する者たちや、もろもろの菩薩方などを、信じ、理解し、尊敬し、心が清らかであることです。

◎真理を捨てないこと

 また、愛著と怒りと迷妄と恐怖のゆえに真理を捨てない者は、信を持った者であり、最上の器であるといわれます。

 そのうち、愛著のゆえに真理を捨てないというのは、たとえば、
「あなたに食べ物や財宝や女や権力などを与えるので、真理を捨てなさい」と言われたとしても、捨てないということです。

 怒りのゆえに真理を捨てないというのは、たとえば、過去に誰かに害をなされ、あるいは今誰かに害をなされようとしていたとしても、真理を捨てないということです。

 迷妄のゆえに真理を捨てないというのは、たとえば、
「カルマの法則は真実ではない。仏陀と仏陀の教えと仏陀の弟子たちは真実ではない。あなたが真理を実践してなんになるのか。真理などほうっておきなさい」などと言われたとしても、捨てないということです。

 恐怖のゆえに真理を捨てないというのは、たとえば、
「あなたが真理を捨てないなら、毎日あなたの体を切り刻み続けるだろう」などと言われたとしても、捨てないということです。

◎信を持つことのメリット

 このような信があるなら、以下のような大きな利益が生じます。

・「偉大なる衆生」の心が生じる。
・真理を実践するためのさまざまな条件を得る。
・感覚が鮮明になる。
・戒を守ることができるようになるので、煩悩が除去される。
・魔の世界を超える。
・解脱を得る。
・広大な善を積む。
・多くの仏陀を見る。
・仏陀により祝福される。
・多くの仏陀が彼の元にやってきて、菩薩の道を説く。

 まとめるならば、有暇と内的条件・外的条件をすべて具え、心に三つの信を持っていること、これこそが、無上の正しい覚醒を得るための、よりどころなのです。

share

  • Twitterにシェアする
  • Facebookにシェアする
  • Lineにシェアする