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校長ことマヘンドラナート・グプタの略歴(2)

 マヘンドラナートは、少年時代から宗教的な欲求を感じていた。そのため、有名なケシャブ・センの宗教運動、および彼の創立したナバビダーン・サマージ(新摂理協会)にも参加した。マヘンドラナートはそのとき、ケシャブと親交があった。家で会ったり、あるいはナヴァビダーンの礼拝所での礼拝儀式に参加していた。その当時、ケシャブ・センが、彼の理想の人物であった。彼は言っていたが、あの感情的な祈りの言葉を聞いているとき、そのときには、彼にはケシャブが神々の位にあると感じられたのであった。マヘンドラナートはまた、こう言っていたものだ。「後になって、タクルのところに行ってあの方の話を聞き、ケシャブのあの人の魂を魅する雰囲気を、タクルのところから得ていたことを知ったのだった。」

 マヘンドラナートは、1882年2月26日に、ドッキネッショルのタクルのところにやってきた。タクルは、彼に会うや否や、彼が最上級の素質を有しているのを知ることができた。最初に会った日、タクルは彼と別れるとき、「また、おいで」とおっしゃったのである。また、彼がすでに結婚していて数人の子供の父親であることを知ると、がっかりした表情をあらわしていた。しかし、彼に、彼の目つきと額がヨーギーとしてとても良い特徴を持っていると教えてくださった。あるとき、シュリー・ラーマクリシュナがサマーディから降りてこられた後、校長に向かって、「全宇宙がシャラグラム(ヴィシュヌ神を象徴した石)となっているのが見えたが、その中に、お前の二つの目も見えたよ」と言っていた。

 マヘンドラナートはそのころ、形のないブラフマンを瞑想することを好んでいて、粘土その他のもので作られた神像を拝もうという気にはなれなかった。西洋流の学問――哲学、文学、歴史、科学、政治・経済などの分野において、彼は優れた知識を持っていた。また、サンスクリットのプラーナ(古代神話)、詩文学および聖典にも、彼は特に造詣が深かった。カーリダーサの美文叙事詩≪クマーラサンバヴァ≫、シャクンタラー、バッティの詩、ウッタラ・ラーマチャリタなどを暗唱していた。ジャイナ教や仏教の哲学も学んでいた。聖書の中でも、彼は新約聖書の部分に非常に熱中し、その内容を深く把握していた。それらのすべての成果によって、マヘンドラナートは自分をかなりの学識者であると思っていた。彼のこの高慢心は、タクルに最初にお会いしたときから、粉々になってしまったのである。タクルは、彼の知識が本質的には無価値であることを知らせてくださった。そして、神を知ることが明智と名付けられるもので、その他はすべて無智であることを教えてくださった。タクルの二声、三声の言葉の痛棒で、マヘンドラナートは黙り込んでしまった。タクルはよくこのようにおっしゃった。――「カエルがコブラにかまれたら、一、二回の鳴き声の後、黙ってしまう」と。これも、あたかもそのようなものであった。
 実に最初の会話で、タクルは彼に、世間の仕事をしていても、こちらとあちらを両立することができる方法を教えてくださった。それが、いわゆる在家的サンニャーシン(グリハスタ・サンニャーシー)への教訓といわれる教えである。その要点は、「すべての仕事をせよ。しかし、心は神に置いておけ。妻、子、父、母、みなと共に住んで世話をし、外見はいかにも自分に属している人のように扱っていても、心の中では、彼らはあなたにとって誰でもないことを知っていよ」というものである。漂っていた真珠貝が、スワティー星座から落ちた水滴を受けて、底知れぬ海底に沈んで胎で真珠を育てるように、タクルのこのヒントをマヘンドラナートは了解して、心の中、部屋の隅、森の中で修行に打ち込んだ。人間に生まれたことの目的は神を得ることであると、心の底から理解したのである。静かなところで一人修行することを開始し、また休みが取れるとタクルの足下へ通った。彼は世間の渦に巻き込まれないように細心の注意を払い、タクルもまた、ときどき彼の境地を試してくださった。そればかりか、しばらく来ないときは、なぜ来れられないのか、その原因をお聞きになったほどである。
 タクルは初めから、彼に霊的な叡智を教える必要があることを知っていた。もしも彼が世俗に埋もれ、無明の渦に巻き込まれるようなことになっていれば、タクルのお望みになることは、彼を通してはなしえなかったであろう。
 タクルは常にあたたかいまなざしを彼の内外(心と外)に注いで、世俗に巻き込まれたのが原因でできる心身の凝滞が生じないように、注意深く見守ってくださった。一八八三年十二月のクリスマス休暇から翌年の一月にかけて、ずっとタクルのそばに泊まり込んで修行していた彼に、タクルは彼の心身の状態を見てこうおっしゃった――「もう家に戻って妻や子供と住むがいい。家族の者に、あなたが彼らのものであるかのように知らせてやれ。でも、内心ではお前も家族のものではないし、家族もお前のものではないことをはっきりと心得ておくんだよ。」それからの全生涯を通じて、マヘンドラナートはこの理想を堅持し、身につけていった。彼は常に言っていたものである。――”Be in the world but not of the world(世間で暮らせ。しかし、世間のものにはなるな”

 タクルはまた、彼に次のようにおっしゃった。

「お前の額と眼は、厳しい修行を積んで上がってきたヨーギーのようだ。」

「あたかもチャイタニヤ様の従順な従者の一人のようだ。」

「チャイタニヤ・バーガヴァタを読むのを聞いたとき、お前が身内だとハッキリわかった。」

「マヘンドラは生まれながらに霊的成就の域にある。」

「あなた自身がどのようなものか、わかるか。ナーラダは皆に(サナカ、サナータナ等に)ブラフマジュニャーナを授け始めたので、ブラフマー神は呪いをかけて、彼をマーヤーに縛り付けたのだ。」

「あなたは、すべての人を見分けることができる。」

「あなたは内輪の者だ。そうでないなら、どうしてお前の心がこんなにもこちらに惹かれて、ここに足しげく通ってくるんだい?」

「母なる神よ、彼にあなたの姿を何度も見せてやって、喜ばせてやっておくれ。さもなけりゃ、どうして霊的修行と世間での生活とを両立することができよう。どうか彼に両立させてやっておくれ。すぐに世俗を捨てることはないだろう? どうか、あなたの意思通りにしておくれ。あなたのおぼしめしなら、後で完全に捨てるだろうよ。」

「マー、彼を目覚めさせておくれ。でなけりゃ、彼が他の人をどうして目覚めさせることができよう。なんで彼を世俗に置いておくんだい? もし目覚めもせずに同じことが続くなら、それで何を失うというんだい?」

「ナレンドラやラカールは、女の人がそばに来ると立ちあがってその場を出ていくよ。お前もそうしたらいい。お前だって、いつまでも女どものそばにぐずぐずしてはいられなくなるよ。」

「この人はファルグ川のように底の深い人物だ。奥深くに優れたものを持っている。」

「お前はプラフラーダのようだ。――すなわち『私はブラフマンである』そして『私は神の召使いである』の二つの境地にいる。」

「校長はたいそう純粋な人だ。」

「この人にはうぬぼれや高慢なところがない。」

「お前は私の身内だよ。父と子みたいなもんだ。ナトモンディル(舞楽堂)の外の柱と内の柱みたいなものさ」

などなど――。

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