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心の現れ

 すべては「心のあらわれ」である。

 ここでいう「心」とは、「心の本性」ではなく、
 そのほとんどは、「過去の経験によって形成された心の情報」である。

 そして過去の『経験』とは、
 簡単に言えば、実体のない事象に対する、習性による心の反応である。

 つまり、「すべては心のあらわれである」という意味は、
 「すべては、『過去における自分の心の反応』の現れである」ということであり、
 その意味で、「他者とのコミュニケーション」とは、実は、
 「過去の自分の心とのコミュニケーション」に他ならない。

 過去に犯した過ち、善くない心の働き、
 それらはすべて、我々の心の奥深くに貯蔵されている。
 そしてそれらは、「私をイライラさせる他者」として、目の前に現れる。
 そのときこそ、その相手に対して、今度こそ、
 愛をもって、正しく、接するのだ。思うのだ。語るのだ。
 これによってあなたは負債を返すことができる。
 
 過去におこなった善、善い心の働き、
 それらもすべて、我々の心の奥深くに貯蔵されている。
 そしてそれらは、「私を幸福にする他者」や「学ぶべき他者」として、目の前に現れる。
 そのときこそ、その相手に感謝し、称賛し、しかしおぼれることなく謙虚になり、
 よりいっそうの善を積もうと思うのだ。語るのだ。おこなうのだ。
 これによってあなたは、幸福の一本道に入ることができる。

 

 ところで、

『ここでいう「心」とは、「心の本性」ではなく、
 そのほとんどは、「過去の経験によって形成された心の情報」である。』

と書いたが、ということはつまり、
 ほんの一部ではあるが、
 「心の本性のあらわれ」もあるということだ。

 実はそれこそが、
 「ダルマ」であり、
 「師」であり、
 「神」であり、
 「ブッダ」なのである。

 それらともし出会ったならば、
 それはまさに千載一遇のチャンスであると考え、
 しがみついて、決して離してはならない。

 現在の経験が「過去の経験の心の現れ」であるということは、
 過去の経験も「そのまた過去の経験の心の現れ」であり、
 未来の経験も「現在の経験の心の現れ」なのだから、
 この「心の現れのゲーム」は、このままでは永遠に終わることがない。

 それを終わらせることができるのは、
 これらの「心の本性の現れ」だけなのだ。

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