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心とマーヤー(6)

 この「ここは私の家ではない」などの事実を口だけで繰り返すことは、とても簡単なことです。また、このように講義でこの主題を伝えることも、とても簡単です。しかし、「ここは私の家ではない。これは私の母ではない。これは私の父ではない。」と言い、それを信じることは、とても難しいのです。
 誰が心からこの真の家を求めているでしょうか? 一方で、この真の家の中に見い出せるもの――幸福・自由・永遠の生命――を望まない人がいるでしょうか?
 私たちがここにあるこの僅かなものに満足しているのは、ひとえに私たちがこれらのものを得ることができていないからなのです。
 しかし、もしこれらを得ることができるならば、私たちはとても喜んでこれらを受け取るでしょう。もしそのような家があることが事実ならば、私たちはそれを求めなくてはなりません。もし、永遠の父、永遠の母がいらっしゃるなら、私たちは彼らを見つけなければなりません。
 プラフラーダは、自分にはそのような父や母がいるこということを知っていました。それゆえに、彼は彼のこの世の父親からの迫害に耐えることができたのです。

 もし所有物を識別するならば、私たちはこのような結論に達しなければなりません。

「はい、私は本当の家を愛します。私はもちろん、そのような家を愛する者です。しかし、そのような家はここでは見つかりません。もし私が永遠ならば、私は永遠の父と母と共に、永遠の家を持っているに違いありません。」

 しかしこの識別の道には、ほとんどの人は従えないでしょう。おそらく、百万人の中で一人ほどしか、本当の家に行こうと試みようとしないでしょう。この理由から、聖クリシュナはこう仰っているのです。

「数千のうちの幾人かが完成を目指して努力し、その中の数千人のうちのわずかが完成に達するのだ。」

 そしてさらに、クリシュナは私たちに、「君たちの唯一の務めは私のもとへ来ることだ。この自力の道はとても危険である」と仰っています。彼の言わんとしていることは何なのでしょうか?
 識別の道を取る人は、ほんのわずかです。皆にとっての最も実際的な道は何でしょうか? クリシュナはこう仰っています。

「誰もこのマーヤーの魅惑を避けることはできない。それは私自身から出てきているのだ。私の足下に避難しなさい。師のもとへ行き、恭しく忠実に彼に従い、謙虚な心持ちで彼に仕えなさい。私の足下へ避難した人々は、例え彼らが生来罪深かったとしても、高潔な魂となり、平安を得るだろう。誰でも私に帰依する者は、必ず救われるのだ。」

 ゆえに、親愛なる友よ、もしあなたが完璧な幸福を得たいならば、もしあなたが死を避けたいのならば、まずはこの世界から解放されなければなりません。この世界は恐ろしいセイレーンです。どのようにしたらそれを放棄できるのでしょうか? 神を愛することによってです。あなたたちは何も手放す必要はありません。ただ一心不乱に神を愛しなさい。全てのことを主のために行なってください。人々は皆、何かの仕事をしています。誰も何もせずにいることはできません。全ての仕事を主のために行なってください。

「食べることも、何かを人に与えることも、苦行を行なうことも、すべて、私のために行いなさい。決して自分自身のために行なってはならない。全てを私のために行いなさい。決して自分のために生きてはならない。私のために生きよ。」

 このようにしてもし神を愛するならば、そしてこの理想を絶えず眼の前から離さなければ、失なわれた糸は見つかるでしょう。そのときに、あなたは本当の家、本当の父、本当の母を見つけるでしょう。そのときに、誰かに「あなたの父は誰か」と聞かれたら、あなたは「私の父は神です」と答えるでしょう。
 今のあなたは、それを気狂いの返答として受け取るでしょうが、いつか、「わが父は神である」ということを知っている人がやってくるでしょう。――キリストやプラフラーダがそうだったように。

 あなたがそのように神と結びつき、いかに彼を愛するのかを知ったとき、無限の恩寵とともに在る彼は、如何にしてあなたにさらなる無限の愛を注いだらよいかを知るのです。
 あなたが、神をあなたの父として認めることができるほどの高みに至ったとき、全てのカーストの差別と信条はあなたから抜け落ちます。それゆえ、偉大な主、シュリー・クリシュナは、「すべての中に自己を見、卑しい者も、学識あるブラーフマナも、牛も、象も、犬も、チャンダーラも同一であると見なす者は、賢者だと見なされるべきである。なぜならば、神は無限であり、彼の愛は無限で、全てに平等だからである」と語られたのです。

 祝福された者とは、神に信仰を持つ者のことを言います。この二十世紀においては、ほとんどの者が神の存在を信じていません。彼らは、自分自身の存在、妻や子供の存在を信じていますが、ほとんどの者が神の存在を信じていません。祝福を受けた者とは、神を信じ、他の全てが偽りであると信じる者のことです。
 普通の人は、この世界の実在性のみを信じます。しかし真のバクタは、ただ神のみが実在であり、この世界は大いなる蜃気楼であると考えます。

「賢者にとっての昼は、世間の人の夜である。そして、世間の人が目覚めている時は、賢者にとっての夜なのである。」

 世俗的な人の持つ結論は、決して、賢者の結論とはならないのです。

 それゆえに、あなたの義務は、あなたの本当の家と本当の友を決して忘れないことです。本当の友を決して軽んじてはなりません。なぜなら、彼らは、ほんの数日間、あなたの唯一の友人なのです。あなたが神を唯一の友、そして本当の家であると見なした日に、あなたは祝福されるでしょう。

 その祝福された日が、あなたたち皆に訪れますように! これが私の心からの祈りです。

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