役者
例えば何か悲しかったり苦しかったりするとき
当然、それには理由があるだろう。
しかし、たとえばこのような条件のときに悲しみや苦しみが生起するという条件自体が、作られたものであり、後付けのものである。
たとえばそれがあったときに悲しいのかうれしいのか、それは時代や国によっても変わるかもしれないし、性格によっても変わってくるだろう。
性格というのも、作られた、後付けのものだ。
我々はそのように設定された役を演じているに過ぎない。
演じるのをやめたとき、そこにはサット・チット・アーナンダ――純粋なる本当の自分と、本当の意識と、本当の歓喜だけがある。
もちろん、それにすぐに目覚めるのは大変かもしれない。
よって同時に為すべきことは、過去の習性によって作られた愚かな主人公を演じるのではなく、神や聖者方が作った、聖なるシナリオに身を任せることである。
聖なる修行をおこない、聖なる理想に自分を当てはめるのだ。