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安定

 本来、この世界は無常と変化を習性としている。物理的な意味でも、精神的な意味でも、現象的な意味でも、一瞬たりとも、何かが固定されてとどまるということはない。

 それなのに人は、安定を求める。無常と変化を習いとする世界に安定を求めるわけだから、それは幻影の安定に過ぎない。たとえばそれは、目の前の風景が変わりだしたのに、写真を撮って、いつまでもその変わらぬ映像を見続けようとしているようなものだ。
 しかしいかにそのような幻影の安定に心を向けようと、現実は常に移り変わっていく。カルマの流れによって、創造と破壊は繰り返される。そして幻影の安定が保てなくなったとき、人はショックを感じる。でもショックを感じるほうが無智だ。だって最初からそんな安定などはないのだから。

 勇気を持って、変化の世界を受け入れよう。勇気とともに、智慧と愛があれば、この旅は楽になる。この無常の本質を見極める智慧と、受け入れる愛だ。 
 たとえば、誰かに裏切られたと言って嘆く人がいる。しかしそれは、その裏切られたと感じる現象もまた、次の何かの創造のための変化であると気づいていない無智だ。なぜそのような神のリーラを楽しまないのか。 
 この世には一瞬たりとも安定はない。しかしそれは悪いことではない。それそのものが宇宙の摂理だからね。だから智慧者は、自らの心を磨くんだ。なぜって、ありもしない幻影の安定を追い求め、結果的に自らを苦しめているのは、自らの心のとらわれだからね。
 つまりね、悪いのは世界じゃないんだ(笑)。あるいは、悪いのはあなたを裏切った、あるいはその他様々な害を与えてくるように見えるその他人じゃないんだ。未成熟な、とらわれが多すぎるこの自分の心こそが、自分を苦しめているんだね。
 とらわれなく、こだわりなく、だからといって無気力なわけではなく、純粋にこの世を見つめたとき、その人の心身は充実する。この無常の風に吹かれよう、この無常の波で波乗りを楽しもう、苦も楽も、神からのプレゼントとして喜んで受け入れようという、歓喜に満ちた心の安定がやってくるんだ。 
 そう、それがこの世における、本当の安定なんだ。世界を止めようとする安定じゃなくて、自己の心のとらわれをなくすことによって、世界の無常の本質をありのままに受け入れることによって、真の安らぎ、安定、シャーンティがやってくる。
 そしてそれは、大変な充実性と、積極性と、こだわりのなさを含んでいるよ。その人は人生において、様々なことにチャレンジし続けるだろう。しかもその成功と失敗にさえこだわらずに、全力でただチャレンジしつづけるだろう。そして多くのものを得るだろう。そしてその得たものを手放さなければいけないときにも、笑って手放すだろう。 
 そしてこの人が輪廻も放棄したならば、真に無常を超えた世界に没入するんだね。でもこの人が大きな愛を持っていたならば、衆生のために、輪廻の放棄もせずに、繰り返しこの世にやってきて、なすべき事をなすだろう。

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