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仏弟子の物語(4)「プンナ・マンターニプッタ」

プンナ・マンターニプッタ

 
 プンナ・マンターニプッタは、遥かなる昔、世界のグルである世尊パドゥムッタラがまだこの世に出現されていないとき、ハンサヴァティーという都のあるブラーフマナの家に生まれた。その後、地上に世尊パドゥムッタラが出現された。

 あるとき、世尊パドゥムッタラの説法会に出席した彼は、そこで世尊パドゥムッタラの弟子で法を説くことにおける第一人者である者を見て、自分もそのような者になりたいという願いを起こした。

 そして説法が終わると、彼は世尊パドゥムッタラのそばに行き、『尊師よ、明日の朝、私の食事の供養をお受けください』とお願いし、世尊は承諾した。

 そして彼は翌日から七日間、素晴らしい食事を、世尊パドゥムッタラとその多くの弟子たちに供養し、また素晴らしい衣も供養した。そして彼は世尊パドゥムッタラに、未来において出現する覚者のもとで出家をして、法を説くことにおける第一人者になりたいという願いを立てた。世尊パドゥムッタラはこう言った。

「遥かなる未来に、ゴータマという覚者が出現なさるだろう。そのお方のもとで、汝の願いは成就するであろう。」

 この後、彼は人間界と天界に次々に生まれ変わりつつ、徳と叡智を積み重ね、仏陀釈迦牟尼が地上にお現われになったときに、釈迦牟尼の故郷のカピラヴァットゥの都にほど近い、ドーナヴァットゥという村のブラーフマナの家に、釈迦牟尼の高弟であるアンニャー・コーンダンニャの甥として生まれ、プンナと名付けられた。

 その後、彼は叔父のアンニャー・コーンダンニャのもとで出家して修行に励み、ほどなくしてアラハットの境地に到達した。
 また、プンナ自身も師として、五〇〇人の出家者を導いていた。
 そしてプンナは弟子たちに、自らも達成した「十の段階の話」をもって説法した。十の段階の話とは、以下のとおりである。

1.少欲の話
2.知足の話
3.遠離の話
4.非交際の話
5.精進努力の話
6.戒具足の話
7.サマーディ具足の話
8.智慧具足の話
9.解脱具足の話
10.解脱智見具足の話

 このようなプンナの教えに従って修行して、彼らは全員がアラハットの境地に到達した。

 アラハットの境地に到達した彼らは、この教団の根本グルである世尊釈迦牟尼のもとに皆でお目にかかりにいきましょうとプンナに言った。

 プンナは同意したが、自分が取り巻きの弟子たちに囲まれて世尊釈迦牟尼にお会いするのは適切ではないと考えて、まず弟子たちを先に行かせることにした。

 そこでプンナの弟子たちは、六〇ヨージャナの距離を歩いて、ラージャガハの竹林精舎へと行き、そこにいらっしゃった世尊釈迦牟尼に礼拝した。

 釈迦牟尼は彼らにやさしく挨拶を返した後、「ビックたちよ、君たちはどこから来たのかね?」と尋ねた。

 彼らは、「世尊の生まれ故郷の地方からです」と答えた。

 そこで世尊はこう尋ねた。

「ビックたちよ、我が生まれ故郷の地方において、
 自ら少欲であり、ビックたちに少欲の教えを説き、
 自ら知足であり、ビックたちに知足の教えを説き、
 自ら遠離して、ビックたちに遠離の教えを説き、
 自ら非交際であり、ビックたちに非交際の教えを説き、
 自ら精進努力して、ビックたちに精進努力の教えを説き、
 自ら戒を具足して、ビックたちに戒具足の教えを説き、
 自らサマーディを具足して、ビックたちにサマーディ具足の教えを説き、
 自ら智慧を具足して、ビックたちに智慧具足の教えを説き、
 自ら解脱を具足して、ビックたちに解脱具足の教えを説き、
 自ら解脱智見を具足して、ビックたちに解脱智見の教えを説き、
 そして法友たちから尊敬されているビックは誰ですか?」

 そこで彼らは、「プンナ・マンターニプッタ尊者です」と答えた。

 この話を聞いたサーリプッタ尊者は、ぜひそのプンナ・マンターニプッタに会ってみたいものだと思った。

 その後、世尊はサーヴァッティへと行き、ジェータ林のアナータピンディカの園に滞在した。世尊がサーヴァッティのジェータ林のアナータピンディカの園に行ったと聞いて、プンナもそこへ歩いて行き、世尊にお会いした。世尊はプンナに法を説いた。プンナは世尊から法を聞いて大いに喜び、歓喜した。
 そして世尊を礼拝してからそこを去り、昼の休息のためにアンダ林に行き、ある一本の木の根本に座った。

 サーリプッタは、かねてから会いたいと思っていたプンナがいると聞き、そこへ行ってプンナに会い、挨拶をかわした後、プンナに尋ねた。

「友よ、あなたは世尊のもとで清らかな修行をしましたか?」

「友よ、その通りです。」

「友よ、あなたは戒の清浄のために、世尊のもとで清らかな修行をしたのですか?」

「友よ、そうではありません。」

「では、心の清浄のためですか?」

「友よ、そうではありません。」

「では、見解の清浄のためですか?」

「友よ、そうではありません。」

「では、疑念の超越の清浄のためですか?」

「友よ、そうではありません。」

「では、道と非道の智見の清浄のためですか?」

「友よ、そうではありません。」

「では、行道の智見の清浄のためですか?」

「友よ、そうではありません。」

「では、智見の清浄のためですか?」

「友よ、そうではありません。」

「友よ、では、何のために世尊のもとで清らかな修行をしたのですか?」

「友よ、執着のない完全なニルヴァーナのために、世尊のもとで清らかな修行をしたのです。」

「友よ、戒の清浄は、執着のない完全なニルヴァーナですか?」

「友よ、そうではありません。」

「では、心の清浄は、執着のない完全なニルヴァーナですか?」

「友よ、そうではありません。」

「友よ、見解の清浄は、執着のない完全なニルヴァーナですか?」

「友よ、そうではありません。」

「では、疑念の超越の清浄は、執着のない完全なニルヴァーナですか?」

「友よ、そうではありません。」

「友よ、道と非道の智見の清浄は、執着のない完全なニルヴァーナですか?」

「友よ、そうではありません。」

「では、行道の智見の清浄は、執着のない完全なニルヴァーナですか?」

「友よ、そうではありません。」

「友よ、智見の清浄は、執着のない完全なニルヴァーナですか?」

「友よ、そうではありません。」

「しかし友よ、これらの事柄以外に、執着のない完全なニルヴァーナが何かあるのですか?」

「友よ、そうではありません。これらの事柄以外によって執着のない完全なニルヴァーナがあるとすれば、凡夫でも完全なニルヴァーナを得ることになってしまいます。
 友よ、たとえば王が、サーヴァッティからサーケータまで、七つの駅伝車を乗り継いでいくようなものなのです。
 同様に、戒の清浄は心の清浄に至るためにあり、心の清浄は見解の清浄に至るためにあり、見解の清浄は疑念の超越の清浄に至るためにあり、疑念の超越の清浄は道と非道の智見の清浄に至るためにあり、道と非道の智見の清浄は行道の智見の清浄に至るためにあり、行道の智見の清浄は智見の清浄に至るためにあり、智見の清浄はそこから執着のない完全なニルヴァーナに至るためにあるのです。友よ、実に、執着のない完全なニルヴァーナのために、世尊のもとで清らかな修行をしたのです。」

「あなたは何という名前ですか? あた、法友たちはあなたのことを何と呼んでいますか?」

「友よ、私の名前はプンナといいます。法友たちは私のことをマンターニプッタと呼んでいます。」

「友よ、素晴らしいことです。友よ、まれなことです。プンナ・マンターニプッタ尊者によって、甚深なる問いがさまざまに回答されました。法友たちにとって、プンナ・マンターニプッタ尊者と会えて、近づくことは、大いなる利益です。」

「あなたは何という名前ですか? あた、法友たちはあなたのことを何と呼んでいますか?」

「友よ、私の名前はウパティッサといいます。法友たちは私のことをサーリプッタと呼んでいます。」

「あなたのことを聞いてはおりましたが、まさに師と等しいくらいの世尊の弟子と話をしながら、サーリプッタ尊者であると気づきませんでした。もし気づいていれば、私はこのような話し方はしなかったでしょう。
 友よ、素晴らしいことです。友よ、まれなことです。サーリプッタ尊者によって、甚深なる問いがさまざまに質問されました。法友たちにとって、サーリプッタ尊者と会えて、近づくことは、大いなる利益です。」

 こうして実に、お釈迦様の弟子の中で「智慧第一」と呼ばれたサーリプッタと、「説法第一」と呼ばれたプンナ・マンターニプッタは、お互いの語ったことを喜んだのだった。

 ある日プンナ・マンターニプッタは、自分が解脱したことを省察して、「ああ、世尊釈迦牟尼のおかげで、私と、他の多くの人々が、輪廻から解放された。ああ、素晴らしき人々と交わることは、多くの利益をもたらす」という喜びの思いが生じ、喜びの衝動からほとばしり出た、次のような言葉を唱えた。

「善人で賢者であり、道理を見る人たちとだけ交われ。
 広大・深遠にして見がたく、精妙・微細な道理によく到達する者は、怠らず励み、明らかな目を持つ智者たちである。」

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