ロチェン・リンポチェの伝記を読んで
幼い頃から霊的な力を発揮していたチベットの女性聖者ロチェン・リンポチェは、13歳の頃、偶然、「ペマ・ギャツォ」という僧の名前を耳にする。そのとたん、彼女の心に熱いものがこみ上げてきて、どうしてもこのラマに会わなければならないと思った。
そしてロチェンはペマ・ギャツォに会いに行き、弟子として受け入れられた。ペマ・ギャツォは聡明なロチェンに大きな愛をもって様々な教えを与え、修行させた。
ロチェンは人々に人気があり、仲間の僧と一緒に托鉢に行くと、たちまちロチェンの鉢だけがお供物で一杯になった。これに嫉妬したある僧が、ペマ・ギャツォに嘘の告げ口をした。
「ロチェンは自分のことをヴァジュラヴァーラーヒーの生まれ変わりだと触れ回っては、たくさんのお布施をもらっているんですよ。」
ペマ・ギャツォは何も言わずにこのラマを帰した。
数日後、托鉢で得た多くの供物を師に捧げようとやってきたロチェンに対して、ペマ・ギャツォは突然怒り出し、こう言った。
「お前のような大嘘つきが持って来たものなど、私は受け取らないぞ。お前は自分のことをヴァジュラヴァーラーヒーの生まれ変わりだなどと言って触れ回っているそうだな。」
ロチェンはこれを聞いて呆然としてしまった。彼女は自分のことをそんなふうに言った覚えはない。たしかに人々がそう噂しているのを聞いたことはあるが、そんなふうに言われても、ただ微笑でそれに答えてきただけだった。ロチェンが何も言えずに床に座り込んでいると、ペマ・ギャツォは怒りに震えて、彼女が持って来た供物の袋を地面に投げつけた。
さらにペマ・ギャツォは、履いていた靴を脱ぎ捨てて、ロチェンに投げつけた。ロチェンはその靴を拾うと、それを自分の頭に載せて、「たとえどんなことがあろうとも、先生に対する尊敬の気持ちは変わりません」という気持ちを表わした。
しかしこの日を境にして、ペマ・ギャツォのロチェンに対する態度は一変してしまった。彼はロチェンによそよそしい態度を示すようになった。他の弟子たちに重要な法を教えるときにも、わざとロチェンには用事を言いつけて、それに参加できないようにした。そして最後にはとうとうロチェンに、荷物をまとめてここから出て行くようにと命じたのである。ロチェンは寂しい気持ちを抱えて、荷物をまとめて尼僧寺をあとにした。
ロチェンはこの出来事に深く傷つき、悩んだ。何度も自分のことを誤解している師に対する疑いや怒りがこみ上げてきた。しかしそのたびに、彼女はこう思った。
「先生は今、私の心をお試しになっているのだ。これで私が先生への信と尊敬を失ってしまったら、私は永遠にダルマとの結びつきをなくしてしまうだろう。私の心におごり高ぶりの気持ちが全くなかったといえるだろうか。小さい頃から私は、やれマチク・ラプドゥンの生まれ変わりだの何だの言われて、ちょっとはいい気持ちになっていたではないか。先生は、私の心に潜んでいるそういうプライドを、徹底的に消し去りなさいとおっしゃっているに違いない。先生が私の事を許してくれるまで、私は耐えなければならない。そうすればまた先生は私に心を開いてくださるだろう。」
ロチェンは自分の心と闘った。これは、人の知力などを大きく超え出たダルマの真理に、自分の心をけがれのない状態で大きく開いていくことができるようになるために、どうしても必要な試練なのだ、と彼女は考えた。
そして数週間後、ネパールへの危険な巡礼から戻って来たロチェンが師ペマ・ギャツォを訪ねると、師はまた昔のような優しい態度でロチェンを受け入れた。こうして彼女は一つの苦しい試練に打ち勝ったのだ。
この後、ロチェンの修行は大きく進み、後にはチベットで広く知られる女性の聖者となった。
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これはケツン・サンポ・リンポチェの自伝「智慧の遙かな頂」などに載っているロチェン・リンポチェの簡単な伝記をさらに要約したものですが、私は昔、初めてこの話を読んだとき、自然に涙が流れてきたのを覚えています。もちろん今でも何度読み返しても感動します。
しかし同時にこの話は、読む人によって全く受ける印象が違うだろうなとも思います。単に「ペマ・ギャツォひどい」と思う人もいるでしょうし笑、また論理的な意味で師への帰依の重要性を感じる人もいるでしょう。
しかし私はこの話を読むと、論理的にではなく直観的な意味で、大事な鍵がここには隠されていると感じるのです。
それは言葉で説明できないことなので、ここにも書けませんが・・・ということで今回は特にオチはありません笑
「これで私が先生への信と尊敬を失ってしまったら・・・・・・」