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「ナーグ・マハーシャヤ」(15)

 「至高者はあらゆるところに遍在している」という真理を、ナーグは直観していました。もし、「どうして手を合わせているのか」と尋ねられると、彼は、あらゆるところ、そしてすべての存在の中に、神を認めるからです」と答えるのでした。
 実際、ナーグの慈悲と奉仕の心は、人間のみならず、あらゆる生き物、小さな虫にまでも及んでいました。
 あるとき、ナーグの信者がナーグの家にやってくると、家の支柱を白アリが食い荒らしているのを発見しました。その信者がその柱を手でたたくと、シロアリたちは衝撃で地面に落ちました。するとナーグは、
「ああ! あなたは何ということをしたのです!」
と叫びました。
「気の毒な生き物、彼らは長い間、ここに安らぎの住処を見出していたのです。あなたがこのように彼らを苦しめたことは、無慈悲な行為なのです。」
 ナーグの目は、慈悲の涙に溢れていました。信者は、驚きと後悔に打ちひしがれました。 
 それからナーグは白アリに近付くと、
「ここで安らかに暮しなさい。この度のことで、あなた方はおびえる必要はありません。」
と語りかけると、シロアリたちがそこに巣を作るのを手伝いました。
 シロアリたちは再びそこに落ち着き、柱はどんどん食い尽くされていきましたが、ナーグは誰にも、シロアリの邪魔をすることは許しませんでした。そしてついに柱は崩壊しました。

 ナーグ自身はシャクティ女神を特に信奉していましたが、同時に彼は、師であるラーマクリシュナの教え、「すべての道は一つ」ということを確信していました。
 ナーグは言いました。

「すべての道が、同じゴールに導く。教義や通り道はあまり重要ではない。もし人が、さまざまな道のどれか一つに、心から、そして深い信仰をもって従うなら、神の恩寵は彼に降りる。」

 ナーグは、かたくなな教条主義に陥ることなく、すべての宗派の信者に等しく敬意を表しました。さらにナーグは、ヒンドゥー教の各宗派のみならず、他の宗教にも等しく敬意を表しました。たまたまモスクやイスラム教の聖者の墓の前を通った時は、頭を下げて恭しくあいさつしました。また。教会の前を通ったときは、「ジーザスに栄光あれ!」と言いながら、頭を下げるのでした。

 修行の実践に関しては、ナーグはこう言いました。
「サーダナー(成就法)の方法に関して言えば、必要な唯一のことは、果実の木の下で常に用心深く、寝ずの番をしている人のように、いつも精神を完全に目覚めさせておくことです。
 人間は、神が無限の恩寵を通してそれを許す場合に限り、彼のサーダナーの果実を味わうことができるのです。
 さらに付け加えれば、明らかに、われわれの側からの激しい働きかけがなくても、主の圧倒的な恩寵が与えられる事があります。それはたとえば睡眠中に、主が天上から、サーダーの果実を彼らの上に滴り落とすようにあらわれるのです。彼らは目覚めて、自分自身と世界の大いなる驚異が与えられたことを理解するのです。このような場合には、いかなるストレスもサーダナーの苦労も経験しません。このような人々はクリパーシッダとして知られています。
 もし神の恩寵が降ることがなければ、われわれは神ご自身を知ることはできません。人は、神が望んで初めて、悟ることができるのです。神はまさに願いをかなえる木なのです。神は、われわれが望んだものは何であれ、与えます。しかし我々は、生死の輪廻へ再び引きずり込むような願望を、欲するままに求めてはなりません。人は、神の神聖な御足に対する揺るがぬ信仰と、神ご自身の真の完全なる叡智をおあたえください、と主に祈願しなくてはなりません。ただそうすることによってのみ、人は世界のけがらわしいかせを逃れ、神の恩寵を通して自由を獲得するのです。
 世俗的な目的を欲すれば、それに付随する害悪も引き受けなくてはなりません。神の瞑想と、神の信者たちとの霊的な交わりに、時を捧げる者だけが、災難とみじめさに満ちたこの世界を超えることができるのです。」

つづく

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