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ラームチャンドラ・ダッタの生涯(13)

 ラームの師への明け渡しは、驚くべきものだった。
 彼の晩年に、ある人が尋ねた。

「なぜ妻子のために蓄えなかったのか?」

 彼は答えた。

「もし私が望めば、多額の貯蓄は簡単にできただろう。しかし、私は家族を養っているなどと感じたことは一度だってないのだ。主が妻子のために一切を与え、私の死後もそうしてくださるのを私は知っているのだ。」

 一八八六年一二月七日、彼の若い娘の一人が事故で焼死したとき、彼は深い悲しみに耐え、慰めに訪れた人々に語った。

「主が私に娘を与え、主が彼女を連れ去りました。なぜ私が嘆かなければならないのでしょうか?」

 
 一般に人々が集うと、彼らはおしゃべりやゴシップ、そして他者の批判を好むものである。しかしラームチャンドラ・ダッタにとって、世間的な会話は死をもたらす毒のようなものであり、師と霊性の生活以外の話題は一切、彼の面前で語ることを彼は許さなかった。師シュリー・ラーマクリシュナについて語るとき、彼の顔は喜びに輝き、涙が頬をつたうのだった。

 彼の信仰と帰依の強さは明白だった。彼にはイニシエートした幾人かの弟子達がおり、彼の霊性の力で相当数の人間の人生が変えられた。日曜日ごとに、ラームは自身の信者達とキールタンを歌い、カルカッタの通りを裸足で踊り歩いた。グルの恩寵をとおして、ラームは神の至福を味わい、それを熱心に皆と共有した。

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