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あらゆる神々の生命力を得ること(2)

 あらゆるブッダは原初の覚醒の広がりの中で一つであるという事実は、ブッダたち自身が説かれたことである。あなたがそのことに信を感じるなら、あらゆる異なったブッダの形は、あなたが付き合う必要のある様々な人々とは違うということも理解するだろう。それは、たとえば30人の人がいた場合に、あなたがそのそれぞれと良い関係を維持する必要があることとは違うのである。
 ブッダのような智慧の存在は、どんな思考をも持たないし、相手が彼らを好き、または好きではないということに関して、区別はない。彼らは通常の人々のようではない。あらゆるブッダの多くの形は、同じ正体を持っている。彼らの一人を修習することによって、あなたは自動的に彼らすべてと繋がりを持つ。
 このことに信を持ちなさい。
 

 あらゆるブッダは本質的に同じであり、多種多様な方法で姿を示す。
 この点においては我々と同じである。つまり本質的には我々は皆、ブッダの性質(仏性)を持っていて、我々のあいだに違いはない。
 我々は皆、基本的に空の認識の統一である。
 しかし、この仏性が思考として表わされるとき、我々の間には、決定的な違いがある。私が幸福である一方、他者は悲しみを感じているかもしれない。我々は同じようには感じない。しかし、本質的には我々はみな同じなのである。

 神々は、思考を持たず、区別もなく、その正体は、唯一の空間の広がりのようである。たとえば、あなたの国のあらゆる家にあるそれぞれの部屋の空間をイメージしてみなさい。これらの家はそれぞれ離れていたとしても、その空間自体には、ある家と別の家の違いはない。基本的な本質に関して、あらゆるブッダは同一である。したがって、もしあなたが一人のブッダを理解したならば、自動的に彼らすべてを理解するのだ。

 あなたが生成の段階で神を観想するときはいつでも、その基本は完成の段階であると理解しなさい。もしあなたが、心の本性を認識した後に観想するならば、神の形をその状態の中に単に顕現させ、生起させなさい。そのとき、基本的にあなたがどの神を修習しても違いはない。なぜなら、あなたは単に修習する神の形を認めているだけであり、あなたはまだ心の本性にいるからである。もしあなたがそのように修習しない(つまり通常の二元的な思考で修習する)ならば、あらゆる神々は全く別物となる。つまり、一つの思考が自動的に他の思考を排除するだろう。

 ある一つの神を認識する(悟る)際、最も重要なことは、空性を認識し、あらゆる衆生に対する慈悲の修習をし、希望や恐怖から自由になることである。
 もしあなたがこのように修習するならば、きっとあなたは神を悟る(認識する)だろう。そのことに疑いはない。
 しかしあなたが、“これこれのものが手に入ったらいいな”という物質的な動機で修習するならば、そのとき、この期待が成就を遠ざけるだろう。あなたは、希望や恐れを通して神を悟ることは決してないだろう。
 まず、心の本性を認識しなさい。次に、すべての衆生に対する慈悲を湧き起こさせなさい。そして希望や恐れを捨てなさい。
 このように修行することによって、あなたは確実に神に到達するだろう。

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