マハープルシャ・シヴァーナンダの生涯(長編)(13)
若かりし頃、ターラクは、神を無形の存在として想うことを好んだ。
師と出会った後でさえも、ターラクは神を無形の存在として考え続け、やがて、すべての相対的世界を排除し、絶対なるブラフマンとの完全な合一を到達点とする智慧の道「ジュニャーナ・ヨーガ」を究め始めた。
これに関連した彼の瞑想について述べると、彼はかつて、「わたしは無限の空間の真ん中に座して、無形で因果を超えたブラフマンについて瞑想していた。わたしは自分のどんな思考も生起することを許さず、ただ観察者として存在したのだ」と言っていた。
仏教が魂と人格神について黙して語らない点が、結果的にターラクを魅了したのだと思われる。彼は仏教の研究と実践を、論理の限界まで行い続けた。後に彼は、その頃の自身の境地をこう語った。
「その頃は、神の存在を信じていなかった。私には、神という見解ですら、心を欠点なきものとすることはないように見えたのだ。それは、わたしが自分自身をそのように表現していたというのではなく、わたしの瞑想と経験は自然に起こったものだった。
その頃、わたしはあまりにもそれらの考えに浸りきっていたので、その方法でしか考えられなかった。幾人かの信者がこのことを師に知らせると、師はこのようにおっしゃった。
『彼の言うこともまた真実なんだよ。霊性の人生のある段階においては、求道者が神の存在を認めないことがある。』
わたしのこの傾向は、かなり長期間に渡って続いた。師の死後、われわれがバラナゴル僧院に移住した後もだ。
しかしある日、師がわたしの前に顕れてこうおっしゃった。
『いいかね? 師がすべてなんだよ。グルより高い存在は一切存在しないのだ。』
このヴィジョンを見た瞬間、前述のような考えはわたしから消え去り、二度と戻って来なかった。」
時の経過と共に、シュリー・ラーマクリシュナの恩寵によってターラクの意識は拡大し、修行人生のこの段階を脱却したのだ。
そのときからターラクは、真理の全体像と、「それ」に対するアプローチの多様性を理解するようになったのだった。