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「解説『バクティヨーガ・サーダナー』」第一回(6)

【本文】

バクティヨーガの八つのサイン

1.アスルパータ(涙が流れる)

2.プラカ(鳥肌が立つ)

3.カンパナ(振動が起きる)

4.ローダナ(泣く)

5.ハーシャ(笑う)

6.スウェーダ(汗が流れる)

7.ムールッチャー(死んだようになる)

8.スワラバンガ(しゃべれなくなる)

 はい。はい、これはつまり、バクティの境地が高まったときに生ずるサインですね。これはもちろんその、自然に起こるものなんで、別にこれを目指さなくていいですよ(笑)。目指さなくていいけども、こういう状態が起きたならば、まあ、それがもし一時的に起きたならば、一時的に、いつもじゃないんだけど一時的に起きたならば、その場合において、自分のバクティがかなり高まったと考えてかまわない。じゃなくて、こういうことがしょっちゅう起きるようになったならば、自分のバクティの道における――少なくともバクティにおいてね、ほかの修行は別にして、バクティの修行はかなり進んでると考えていい。

 はい、まず「涙が流れる」。例えばこれはラーマクリシュナも言っています。ラーマクリシュナが言うには、「例えばラーマ、あるいはクリシュナ、そういった神の御名を、一言、口にするだけで涙が流れる。このようになったならば、もう決まりきった修行はいらない」――とまで言ってる。これは一つの境地だね。
 ちょっと、まあ一言じゃなくてもいいんですけど、例えば常に、神のことをふっと思うと涙が流れる。あるいは神の歌を歌うと、いつも涙が流れる。あるいは神の御名を口にしただけで、涙が流れる。これは一つの、まあサインだっていうことですね。

 はい、そして「鳥肌が立つ」。はい、これも神への想いによる感動によって、鳥肌が立つと。

 「振動が起きる」。これはまさにクンダリニーの動きですね。これはつまり皆さんが、ムドラーとかでやってるような振動があるね(笑)。あれが、別にムドラーとかやらなくても、神への想いに没入するだけでクンダリニーが動きだし、われわれの中が実際に振動すると。

 はい、「泣く」。まあ、これはさっきの「涙が流れる」とほとんど同じだけど(笑)。

 「笑う」。これもだから、なんていうかな、別に、笑えばいいってもんじゃない(笑)。

(一同笑)

 笑えばいいってもんじゃないけども、まあこれもだから、一つのサインとして、今はあまり深く考えなくていい。たぶんこの境地に達したら分かります。分かりますっていうのはつまり、あらゆる――つまり日常的な概念が消え、そしてなんていうかな、羞恥心みたいなのが消えて、完全に神と自分だけの世界みたいになっちゃって、なんか笑いが出たり、子供みたいに泣いたりというのが始まりますよ、っていうことですね。
 だからこれは――もちろんね、これね、こういうことをわざとやっちゃ駄目ですよ。わざとこう、みんなに見せるためにね、「ああー」ってやって、ちらちらこう周りを見るとか(笑)。

(一同笑)

「さあ、みんな見てくれてるかな?」……これは駄目ですよ。そうじゃなくて、完全に没入したときのサインなんです。サインだから、自分に本当に自然にそういうのが起きてきたら、ああ、自分はいい感じになってるなと。あるいは周りを見て、周りの人がもしそういうふうになったら――まあだからこれは、そうですね、その周りに対する、一つのこれは、なんていうかな、いいんだよっていう教えでもあるかもしれない。っていうのはさ、こういう教えがなかったら、ちょっと変な人に思われちゃうよね(笑)。いきなりなんかこう歌を歌ってたと思ったら笑いだして(笑)、あるいは泣きだしたりしたら、ちょっと変な人に思われるかもしれないけど、「ああ、なんかある段階の経験をしてるんだな」っていうふうにこう、温かく見守ってください、そういう人がもし出たらね(笑)。はい。

 はい、で、「汗が流れる」。はい、これは前段階で、当然体が熱ーくなります。これもだから、前から言ってるけどね、これは一般にはそう言われてないけども、わたしの経験では、バクティヨーガとクンダリニーヨーガは非常に相性がいいです。相性がいいっていうよりは、実際には起こってることがほとんど同じです。つまりクンダリニーヨーガが行法によって起こそうとしてるクンダリニーの目覚めと、それから甘露が降りて云々とか、そのシステムを、愛によって、信仰によって起こしてるんですね。だからさっきの振動もそうですけども、これも同じ。内側から内熱、内なるトゥモの目覚めがその信仰によって生じるんですね。で、それによって体が熱くなり、汗がガーッて出てくる。まあこれも一つのサインですよと。

 はい、「ムールッチャー(死んだようになる)」。これはチャイタニヤとかがよくそうなってた。あるいはラーマクリシュナがそうなったのと同じ境地ですね。まさにその――まあ、これも一つのサマーディですね。つまりその、見た目も死んだようになるし、実際にその、硬直したりとか、あるいは呼吸が一時的に止まったりとか――という世界ですね。

 はい、「スワラバンガ(しゃべれなくなる)」。これもある境地に心が達すると、ラーマクリシュナもよく言ってますけども、まあ変な話、しゃべろうとしてもしゃべれなくなる。ちょっと止まってしまうんですね。無ではない。無ではないから、なんかちょっとしゃべろうという意識がちょっとあるんですけども、なんかこう――なんていうかな、しゃべるシステム、概念のシステムと、ちょっと意識がずれちゃうみたいな感じですね。ずれちゃってて――あのー、精神的金縛りといってもいい。精神的金縛りね。ちょっと、「え……あ……う……」としゃべれなくなってしまう。完全に神の方にこう、頭も心も没入しちゃってる状態ですね。はい、これがサインですよと。
 だからこれも、あんまり観念的にとらえなくていいよ。とらえなくていいけど、まあ軽くサインだな、ぐらい、こういうのが起きるんだなぐらいに思ってたらいいです。
 はい、じゃあ次いきましょう。

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